mixiユーザー(id:1940449)

2022年10月10日11:38

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愛について 1



動画は フロムの「愛するということ」その2
その1がこちら
https://www.youtube.com/watch?v=o8hvClzzXzg

めんどくさいので丁寧語で書くのやめたw

「愛について」とは ついにあいつも頭おかしくなったか
なんか変なもの食ったんじゃないのか?
との疑念はあるだろうw
まーそれもしょうがないw

あ いっとくけどパンパンのちんこを誰かに入れたいっていう愛とは違うからなw
わかってるとは思うけどw

フロムの言ってることは 他の思想家や哲学者とほぼ同じだ
哲学者だけでなく
我々誰もが なんとなくわかっていることでもある

でもわかってない
好きな三島を例にとって考えてみたい
三島は多くの人が思想的に得るところのない右翼反動主義だと思っている
酷い誤解は 彼を国家主義だとさえ思っている
まー 要するに理解する気がないw
彼曰く「最後にピエロになるからだ」
事実 そうなった

彼は 女子供のために死ねない
消えていきつつあるこの国の文化的価値のために死ぬ
といった
ややもすれば 国家という共同体に殉じて死ぬと聞こえがちだ
じゃあ 国家主義なのか 共同体主義なのか
それともフェシズムなのか
そんなふうに取られても致し方ない
なぜなら 彼自身 そう取られても当然の価値を露悪的に出しながら死んでいったからだ
世間の常識的な評論家にそうに違いないと思わせる仕掛けを嫌と言うほどした
フロムに言わせれば 受動的な愛を実践して見せたことになる
「死んで当然の狂気」と皆に解釈されたわけだ
しかし「豊穣の海」のラストを思い出すべきだ
散々 流麗な文章で生まれ変わりの奇跡を描き出しつつ
最後の最後 尼僧に「それあなたが思い込んでるだけやおまへんの?」と言われる

彼が彼は生前 文化とは何だと問われた時
「例えば能には「しおり」という動作があります
女性がそっと手を顔に当て静かに泣くシーンです
そういうものが理解できる共同体の価値が文化です」
というようなことを言った まーだいたいだけれどもw

彼は そのために死ぬ
国家なんかそこにはないし資本主義もグローバル経済もない
非常に原始的な形で何千年も息づいている
この島の愛の形だ
惻隠の情も無常の念もその他ありとあらゆる情念がその動作に込められている
そういうものが失われたら その世界に生きてはいけない
そういうことだ
それを守るためなら死ねる
彼はそう思ったと おれは思っている

サリンジャーの「フラニーとゾーイー」に出てくる
「太っちょのおばさん」とはそういうことである
ラジオ番組に出演するフラニーにゾーイーは靴を磨いていけという
見えないのに誰のために?ととうフラニーに
「太っちょのおばさんのために」とゾーイーは答える
「太っちょのおばさんって誰よ?」
「キリストさ」 ゾーイーはそう答える
目に見えない誰かのためにそうする 真剣にそうする
それが三島の場合の「文化概念」であり
愛するということは 真剣さが必要だ という三島の最上級の真剣さとは死だ
と思うw

ここでいう愛とはそういう概念のことである
ちんこ関係じゃないよw


続くw

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