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2022年04月24日22:58

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「ゴッドファーザー 最終章 マイケル・コルレオーネの最期」を見て。〜届かなかった、父の祈り〜

作品の魅力と並んで、作り手の生き様、創作へのパッション、熱意も足を運ぶ動機足り得る。先日も、報道で、所有するワイナリーを売却して新作を撮るための資金を調達すると伝えられたフランシス・フォード・コッポラ監督も、その一人である。

手元の資金を、そのまま持っていれば良いのに、未開の地に世界的歌手を呼ぶためのオペラハウスを建てる為に、ゴム園開発を目指して、川のぼりの船を水に浮かべずに、現地民の人力で山越えをさせる常軌を逸した行動に走る男を描いた「フィッツカラルド」という映画があったけれど。その作品の主人公に被るのが、コッポラ監督です。

監督作品でオスカーゲットして、評価も定まっていたのに、己の創造意欲を満たす為に、成功から得た富を総てつぎ込んで。その回収の為に、次の10年間は、作品を量産したのだけれど。つぎ込む元手を産んだのが、「ゴッドファーザー」�機��兇良床舛閥醜堽礁未寮�功。

60年代後半からのアメリカンニューシネマの精神を内包しつつ、大衆作品としてのエンタテインメントと、ジャーナリスティックな社会性に、重厚な芸術性も兼ね備えて、時を経ても決して劣化しない、確固たる地位を占めているのは、見た者なら誰もが否定しないところ。

しかし、前作から月日を隔てて製作された「Part�掘廚蓮∧�語の必然とか創作欲の再燃の先に、作り手や権利者側のオトナの事情で、お膳立てされた出自のいきさつもあってか、�気鉢兇了諺海髪撚荵砲鮠箸蕕后岼慮�」を、更に高めるどころか、過去作の眩さの前に存在感が霞んでしまっていて。

作品自体の重厚さ、物語としての雄弁さの裏付けである、何人もの人物像が確立されていたからこそ、それらが「原動力」となって、前二作は、今なお、訴求力を持っているけれど。そこから流れた歳月の無情さと、コルレオーネ一族が、アメリカで「てっぺん」取ってしまった後が、3本目の出発点だったのも、確かに大きなハンデではありました。

展開上、回想でも設けない限り、過去作の殆どの人物を帰って来させようが無いし、キレ者の顧問弁護士役のロバート・デュバルは復帰合意せず、キャストが「小粒」になる中で、売りとなるのは、アル・パチーノの2代目ドン、マイケル・コルレオーネの兄で、武闘派幹部だったジェームズ・カーンのソニーの非嫡出子のビンセントを演じる、当時は、若手有望株だったアンディ・ガルシアでしたし。

物語の背景も、コルレオーネ一族が、内憂外患を如何に治めて、覇権を握り、家族を守るまでの「上り調子」ではなく。賭博を他のファミリーに譲って、全米でのシノギを捨てて、大司教の弱みに付け込んで、バチカンの銀行に入り込み、そこから欧州の不動産会社を動かそうと、宗教を隠れ蓑に、非合法なビジネスとそれで得た資産を浄化のためである。

国境を超えて経済活動が肥大化する中で、闇社会の活動の変貌を見せて、商業映画としてのインテリジェンスや、志しの高さは、今日において、失われつつあるものだけれど、いかんせん、話としては、「守り」に入ってしまって、見る人の気持ちを高ぶらせるなど難しく、「前2作の夢よ、再び」とはならなかった。

中でも、失望の「矢面」に立たされたのは、マイケルの娘メアリーとして、出演した監督の娘のソフィア・コッポラでした。当初のキャスト、ウィノナ・ライダーの途中降板で、止むに止まれず、父の説得に応じて銀幕登場を果たしたのですが。先にも書いた通りの、情感のふり幅が狭い作品雰囲気の中、演技経験故の「硬さ」が、目に留まってしまうのです。

月日は流れて、本作が30年目、そして1作目公開から50年の節目を迎えて、フランシス・コッポラ監督が、3作目に編集等手直しを加えたのでした。スタジオからの要請で、「Part�掘廚函△擦兇襪鯑世覆�ったタイトルを、当初の構想通りの、「THEGODFATHER, CODA: THE DEATH OF MICHAEL CORLEONE」に変更して、1作目の父ビトー・コルレオーネ同様、ファミリーの存亡と併行して、晩年のマイケルの心境に焦点が当たる様に、作り直しています。

正直、30年前に見た際は、伝え聴く名作の名前を冠した割には、散漫だった印象でした。その間、前2作を銀幕で見直し、「地獄の黙示録」も、一昨年、IMAXで再見できて、見識に補正も掛かったのもありますが、この最終章バージョンは、コルレオーネファミリーが置かれている状況、引いては、周りに、「覇権」を狙う敵対組織が、ひしめく中の本当の「敵」が、ハッキリしたお陰もあって、降りかかる「危機」が鮮明となった。

お陰で、クライマックスにおけるマイケルの息子が、一家故郷イタリアでのオペラ歌手デビューする舞台に、敵対勢力への「粛清」の様子が織り込まれるシークエンスを、権力や財力では、決して浄化されない、人間の「悪行」を、高らかに謳いあげる芸術的「一幕」として、最新劇場施設の映写や音響効果のアシストもあって、じっくり堪能できました。

父親はじめ「家族」を守るためとして、望まざる暴力の世界に身を置き、非情を貫いて生きて来たマイケルが、弟殺しの罪に苛まれている事が、バチカンとの接近の中で露わになり、糖尿病にむしばまれて、配下の構成員を動かしてきた、「日の出の勢い」を見せて来たマイケルは遠い過去となった、独りの老人の姿がそこにあって。

今や、父フランシスと同業者となった娘ソフィアの「過去の痛み」の回復も、本作の手直しの意図があって。粗暴なビンセントに惹かれる理由は、それでも、判然としなかったけれど、父マイケルが、非合法な世界で、大事にするほど、「孤立」を深めているのが、今回の手直しの甲斐あって伝わり、「Part�掘廚�ら、メアリーを演ずるソフィアの存在意義を上げる事は、果たせたのではないでしょうか。

劇中、マイケルの「ファミリーを守る過程で失われた家族を、我が身に引き留めたい」と云う願いは、せっかく、老骨に鞭うったのに、望まない結果を招いてしまって。孫と遊んでいる間に亡くなった父ビトーの恵まれた最期と違って、息はしているのに死んだように故郷の屋敷の庭に独り座ったままのマイケルは、悲哀に満ちていて。

監督への肩入れが強いのかもしれませんが、深みある陰影の撮影、ニーノ・ロータのあのメロディをアレンジした音楽だとか、芸術性高い映像に、時間を忘れさせる引き込む話術。「霞んだ存在」なんて、先に書いちゃいましたが、この3本目も、シリーズに欠かせない作品でありました。

拙文にお付き合い頂き、有難う御座います。
シネマサンシャインららぽーと沼津 シネマ6にて

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