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2022年04月13日21:34

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那智の瀧

熊野三山の三つめである熊野那智大社のご神体は、かの有名な「那智の瀧」だ。
神社を建てたり、祠を作って神様を祀ったりする前からずっと人々の畏敬と信仰を集めてきた山や岩、瀧。
神倉神社も、巨大なゴトビキ岩そのものがご神体だった。
こういう場所は、日本にはかなりたくさんあるはずだ。
一昨年訪ねた奈良の大神(おおみわ)神社は、三輪山そのものがご神体で、それを司る神社には、三輪山を拝むための拝殿しかない。
本殿を建てて、奥の奥に鏡なんかをおいてアマテラスを祀る、的な神社とは一線を画している。
こうした、より古いもの、より始原的なものに、私は惹かれる傾向がある。


ここ熊野那智大社も、本殿の中に、熊野夫須美大神(くまのふすみのおおかみ=イザナミ)を中心に、6つの社殿をズラリと並べて祀ってはいるが、一番エラいのは、そこからちょっと歩いた先にある高さ133mの瀧だ。
この瀧は、大己貴神(オオナムチ)になぞらえられている。
大己貴神(オオナムチ)は、イコール大国主神(オオクニヌシ)、つまり大黒様で、因幡の白兎を助け、アマテラスに国を譲り、出雲に高さ100m近い巨大社殿を建ててもらってようやく鎮まっている、あの神だ。
さらに云えば、奈良の三輪山も、大己貴神の御魂の鎮まるところである。
なるほど、古い神は、山や瀧に同化されて鎮まっているというわけだな。


熊野那智大社へは、社務所の目の前まで車でアプローチすることができるし、バスでもある程度は接近可能。
いにしえの参拝者さながら古道を歩いてお参りしたい人は、JRの那智駅付近からそのまま歩いて向かえばよい。
このコースも熊野古道・中辺路の一部となっていて、所要2時間程度の由。
一方、古道歩きはもうおしまい、とばかりにレンタカーを使う我々は、ここを熊野古道には全くカウントせず、コースの途中にある無料駐車場に車を停めて、そこからやおら大門坂というこれまた急な石段を登ることにした。
(相棒は、例のスタンプは押していたようだが。)
ここは大変風情のある道で、観光パンフレットなどには、平安装束をまとった女性が木漏れ日さすこの石段に佇んでいる写真を、熊野古道のメインイメージとして使っていたりする。
ですが、少なくとも現代の我々は、あんな衣装を身につけて大門坂を歩き通し、那智大社を目指すのはお止しなさいと申し上げておきましょう。
なぜなら、
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ゴトビキ岩ほどではないにしろ、ここもこんな道だからね。
(中辺路街道マップより)見よ、上の青い勾配線!
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私には、こいつを完遂しかねない友人が一人、いることはいるのですが。

那智大社に着く直前には、那智黒の碁石や彫刻なんかを商っている賑々しい土産物屋などもあったりするが、そこを通過した先に熊野那智大社がある。
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けれど私の究極的な目的はご神体の瀧であるので、ここはわりとおざなりに参拝。
それでもやっぱり、神社の社殿というのは美しいなと思う。

さて、では待望の那智の瀧へ向かうか。
大社から瀧へは、また急な坂と階段を下ってゆく。
途中に巨大クスノキの胎内くぐりというのがありますからよろしければ。
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巨木は、いいよね。
これだって信仰の対象だ。

そしてこの辺りからもう、前方に那智の瀧が見えてくるし、振り返れば熊野灘の青い海面も見える。
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振り返ると、熊野灘が。那智の瀧は、海からも見ることができるらしい。
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瀧へ向かう途中に、青岸渡寺(せいがんとじ)という美しい名前の寺がある。
もっぱら修験道や密教の拠点ということになっていて、ここを開いたのは、仁徳天皇の時代にインドからやってきた裸形上人(らぎょうしょうにん)だという。
謎と不思議と神秘に満ちた、実に熊野らしい伝承だと思いませんか?
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ここ紀伊半島は、南の方から黒潮の強い流れが来ているので、中浜万次郎は土佐から遥か南の鳥島まで流され、オスマントルコのエルトゥールル号はここで難破しと、人間にはコントロール不能の海上交通の大動脈に触れる難所だ。
裸形上人が誰かは措くとしても、人間が舟で海に乗り出すようになって以来、南の国から頻々と人が紀伊半島に流れ着いていることは間違いない。
多くは半裸で肌浅黒かったろうから、その神秘の場所を開いたのが「天竺からやって来た裸形上人」なんてロマンチックな伝承になったのだろうな。
彼らが漂着後も生き永らえれば家族もできようし、数によってはコミュニティを形成できたかもしれない。

先述した桐村英一郎氏の『「熊野山略記」を読む』によると、この一帯には熊野三党といわれる土着の勢力があり、伝承のヴァリエーションの中には、彼らは熊野権現が日本に飛来するに先立ちここに派遣した臣下の子孫である・・などというのもあるらしい。
まったく熊野という処は、神、信仰、伝説のごった煮の鍋の中なのだな。

そんなスポットを見物しながら歩いていると、下り坂の道は突如森閑とした針葉樹に分け入る急勾配の石の階段となった。
周囲の空気が急に引き締まる。
ああ、来たな。
那智の結界に入った。
前方から、滝のしぶく音が次第に大きく聞こえてくる。

木々が急に開けると、飛瀧(ひろう)神社の簡素な鳥居があり、その向こうに、高さ133mといわれる瀧が落ちてくる。
この季節は水量が少ないのか、強い横風にあおられて、瀧は時折り逆くの字に折れて落ちる。

ここが大己貴神が鎮まるとされる瀧か。。。
森閑とした山中にあって、ここだけが、この水だけが、動き、流れ、落ち続けている。
しばし瀑布に見入る。

参拝客たちは、それぞれの流儀で瀧に対していた。
年配の夫婦は、瀧を眺めながら感に堪えたように何事か呟いている。
我々の後にやって来た女の子3人連れは、滝に一番近い場所に陣取り、手のひらを、流れ落ちる水を受けるかのような角度に調整して、賑やかに写真を撮りあっていた。
その場所が空くのをジリジリするように待っていた独り旅の女性は、彼女たちがそこをどくとすかさず瀧に近づき、折りたたんだ紙を取り出して、なんと祝詞を唱えだした。


鳥居越しに眺める那智の瀧は、神が降臨したとか、誰それが鎮まるというよりも、紀伊の豊かな山林が集めた清浄な水脈の一本一本が、ここ那智の地で合わさり人々の前にその姿を現す、自然の神聖な舞台であるかのように思えた。




せっかくの那智の瀧、私が撮影したイメージ・デストロイヤーな写真をお見せするより、根津美術館所蔵の鎌倉時代に描かれた有名な『那智瀧図』をご覧いただいた方が何倍もイマジネーションが湧くと思いますのでご覧ください。
私はまだこの画の実物を観たことがないのですが。
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https://www.nezu-muse.or.jp/jp/collection/detail.php?id=10001



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