熊野古道を説明するには、皆さんの左の手のひらを紀伊半島に見立てるとわかりやすいと思う。
熊野詣での目的地、熊野本宮大社は、掌のくぼんだ部分の一番下あたりに位置している。
ゴトビキ岩で有名な新宮の熊野速玉大社は、小指側の、手首のちょっと上あたり。
那智の滝のある熊野那智大社は、そのさらに下の、掌と手首との境目あたりだ。
南紀白浜空港のある田辺は、親指の付け根の外側付近。
ここから内陸へ分け入って東に向かって熊野本宮大社を目指す道を、中辺路(なかへち)という。
熊野古道歩きで今最も一般的なコースで、後白河法皇や藤原定家らも、京都から大阪に出てそのまま紀伊半島西岸を海沿いにくだり(大辺路)、田辺から中辺路をたどって本宮へ向かった。
田辺から本宮までは、歩けば3日程度かかると思う。
一方、江戸から向かう人の多くは、先にお伊勢参りをしてから熊野を目指すと思うので、小指のあたりにある伊勢神宮を参拝したら、そのまま海沿いに南下して、先に新宮の速玉大社と勝浦の那智大社にお参りし(伊勢路)、そこから山の中を、手のくぼみにある本宮を目指すはずだ。
名古屋から電車で向かう際にも、このコースを辿ることになる。
山へ入らずそのまま紀伊半島の南岸を熊野灘を眺めながら海沿いに歩き、大廻りで田辺まで歩くこともできる。
これは大辺路(おおへち)といって、風光明媚なコースだ。
また、高野山から南下して本宮へいたる小辺路(こへぢ)、奈良の吉野の山から同じく南下する大峯奥駈道(おおみねおくがけみち)というコースもある。
最も神秘的で魅力的なのは大峯奥駈道だが、これは大変に険しい修験の道で、部分的に女人禁制である由。
こんど男に生まれ変わった時の愉しみにとっておくつもりだ。
初めに書いたように、我々は朝一番の飛行機で田辺に降り立ち、そこから飛行機の時間に合わせたたった一便の空港発バスに乗って、中辺路の真ん中ちょっと手前あたりの栗栖川(くりすがわ)バス停を目指す。
その名も「快速熊野古道号」。
快速、とはいうが、何のことはない、 「快速」になるまでたっぷり一時間は市街地をぐるぐると廻り、それからおもむろに山の中に分け入ってゆくバスだ。
普通の路線バスと観光バスのハイブリッドとでも申しましょうか。
その日は祝日だったが、空港から乗り込んだ乗客は我々含めて4名、「熊野古道歩きます!」という勇ましい格好をしているのは我々だけだった。
東京からの飛行機はほぼ満席だったのだが、彼らはどこへ行ってしまったんだろうか。
(あっ!アドベン・・・・)
ガラガラのバスを、栗栖川で降りる。
すでに山と道路しか見えない山の中だが、ここから30分ほど未舗装の山道を歩いて、ホンモノの熊野古道のチェックポイント「高原熊野神社」を目指す。
まずはストレッチ。
突然山歩きなんかしたら、たちまち足がどうかなることは目に見えているので、日ごろから上り階段は一段飛ばし、そして毎日30回のスクワットを続けていた。(ただし真夏は全面的にサボる。暑いもん。)
コロナ禍で計画はキャンセルに次ぐキャンセルだったが、その間も倦まず弛まず続けたわたくしは、エラいというよりも、それだけ衰えに恐怖を感じていたからなのだよ。
熊野は、古道に入ったらエスケープルートはほとんどなく、前に進むか、戻るしかないからね。
高原熊野神社からは、いよいよ本格的な古道歩きが始まる。
この辺りにはまだ人が住んでいて、棚田ごしに紀伊の山々が望める。
少し歩いてから、南紀白浜空港で買い込んだお弁当で腹ごしらえ。
この辺りの名物、サンマ寿司とめはり寿司に梅干しと、名物3点セットを早くも攻略した。
天気は晴れ時々曇りという感じだったが、尾根付近を歩くときは風が冷たかった。
普通の登山だと、歩き始めたらシャツ一枚、となることが多いのだが、古道歩きはアップダウンを繰り返すものの、山頂を目指す厳しい登山というわけではないので、緩やかな、あるいは急な下りというのも多い。
フリースや軽いダウンを着たまま、息が切れることもなく喋りながら歩く、という感じだった。
この日は近露王子(ちかつゆおうじ)という集落まで歩いて、そこから再びバスで湯の峰温泉へ向かう計画だ。
4時過ぎ、バスの時間にちょうどいい具合に近露に到着して時刻表を確認すると・・・・
やや、バスがない!
これからだと、5時58分までバスは来ないぞ!
どうやら我々は、時刻表の隣の行を見ていたらしい。
太川陽介か!
さて、次のバスまで1時間半、どうしよう??
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