湯の峰温泉から赤木越を歩き、行動食代りに買った「那智の黒飴」を舐めつつ、船玉神社から中辺路(なかへち)に入って、猪鼻王子(いのはなおうじ)、発心門王子、水呑王子、伏拝王子(ふしおがみおうじ)と歩き続ける。
ここまで4時間くらいだろうか。
(熊野古道に点在する「××王子」というのは、在来の神々を祀っていた社や祠のことで、古道歩きのチェックポイント的な役割を果たしている。俗に九十九王子といって、熊野古道全体で実際にそれくらいあるらしい。)
さすがに少し疲れてきたところに、「ちょっとより道見晴らし台」の看板があった。
あまり寄り道をしたい心境ではないのだが、せっかく来たのだからとがんばって丸太の階段を上る。
しばらく行くと・・・
大斎原(おおゆのはら)
ああ!有名な写真はここから撮られていたのか!
下界に見える大きな鳥居は、熊野川・音無川・岩田川の合流点の中州にある大斎原(おおゆのはら)のもので、かつて熊野本宮大社があったところだ。
明治22年の大洪水で社殿があらかた流されてしまったために、500m離れた高台に遷座し、今の本宮大社としたといういきさつがある。
そろそろ本日のゴールが近づいてきたということだ。
しばらく歩くと民家が見え始め、やがて熊野本宮大社の裏手に出る。
ここかー。
苔むした塀を廻りこんで、ついに、ついに本宮の拝殿に向かう。
全国どこの神社でも、主神および多くの神々が祀られているものだが、ここ熊野本宮大社はの主神はスサノオだ。
一方、熊野速玉大社はイザナキ(夫)を、熊野那智大社はイザナミ(妻)を主神として祀っている。
アマテラスは三社いずれでも主神でないのはどうしてだろう??と、なかなかその方面に詳しくなれない私はボンヤリと考えている。
中央が、家津美御子大神(けつのみこ)ことスサノオを祀る社。
本宮大社は、なんといっても神さびた檜皮葺の社殿が美しい。
近づいてそのマッシヴな屋根にうっとりと眺めいる。
ああ。力と暴力の神になんと相応しい社殿か。
加えて、背景の木立の力強さよ。
観光地中の観光地だというのに、人は数えるほどにしかいなかった。
さて、ここへ来たからには、八咫烏(やたがらす)のお守りを貰って帰らねばなるまい。
自分のためではなく、愛してやまないサッカー日本代表のために。
本宮大社へは、それが目的でお参りしているようなものだ。
黒と銀の、小さいシックな八咫烏のお守りをひとつ。
(記念すべきこのお守りのデビュウが、埼玉スタジアムにおける日本代表対ヴェトナム代表の塩試合であったことはまことにやるせない。)
(南高梅)
さて、あこがれの熊野本宮大社の境内で、八咫烏神社やら南高梅やらをゆっくりと見物したあとは、いよいよ歩いて大斎原(おおゆのはら)へ向かう。
紀伊の山深い中に、どうしてこんな広大な河原があるのか、ブラタモリで説明があったような気がするが、どうも記憶に残っていない。
川の流れなんて、時間とともにどんどん変わってゆくものだと思っているが、ここは平野を流れる川ではないから、そうそうコースは変わらないのだろう。
昔々のその昔から、この中州には安心して大きな神社を据える、熊野の神を祀ることができていたのだろう。
そう考えると、明治の大洪水で流されてしまったという話は、近代化の弊害が真っ先にこの聖地を穢したのかもしれぬとも思われ、非常に落ち着かない気分になる。
大斎原に至る道の両側は、田んぼと工場という、笑ってしまうほど「日常」まん真ん中だ。
ここをまっすぐ進んで、2時間前に見晴らし台から見た大鳥居をくぐって聖域に入る。
この大鳥居は、大神神社と同様、近年建てられたもの。
大斎原は、木立に囲まれた清々しい場所だ。
礎石と石祠があるきりなので、多くの社殿や能舞台がぎっしり建てられていた往時を偲ぶのは難しい。
しかしこの、なんにもない一帯というのが、むしろ余計に聖域を感じさせる。
木立を抜けると、そのまま河原に出られる。
巡礼者たちはみな、この川の水で禊をしてからお参りをしたらしいが、今でもきっと夏には古道歩きをして辿り着いた旅人たちの疲れた足を、気持ちよく冷やし引き締めてくれることだろう。
熊野のヌシたる熊野権現については、面白い伝説が残っている。
ちょっと詳しめのガイドブックならこの話は出ていると思うが、ここでは桐村英一郎氏の『「熊野山略記」を読む』から引こう。
引用元は熊野三山に伝わる古文書『熊野山略記』、そのまた原典は、12世紀に成立した『熊野権現御垂迹』だそうだ。
むかし、唐の天台山の地主神が日本に飛来して、八角形の水晶の形で九州の彦山峯に天下った。
そこから、四国、淡路と点々と移動しながらやがて紀伊国の牟婁の松の木に渡った。
それから60年して新宮の神倉峯へ、そしてさらに60年後に新宮の阿須賀神社の北で社殿に祀られた。
その13年後、大湯原(おおゆのはら)の一位の樹の三本の梢に、三枚の月形として天降った。
ある日、ひとりの猟師が大猪を追って大湯原まで来て、射た猪をそこで食べてひと眠りして目覚めると、一位の木の梢に月が3つに分かれてかかっていた。
なぜそんなところに?と尋ねた猟師に、月は、我は熊野三所権現であると答えた。
猟師は一位の樹の下に宝殿を建てて権現を祀った。
この先がちょっとおもしろい。
猟師の不在中に、とある修行僧が猟師の家を訪れ宿を請うた。
猟師の妻は、夫は大猪を追ったまま帰ってこないので、喰われてしまったにちがいないと言う。
そこで僧はさっそく妻を誘惑、共寝した。
数日後に猟師は戻ってきて、どこへ行っていたのかと問う修行僧に、熊野権現の天降りをこの目で見たと答える。
修行僧は猟師の案内で大湯原へ行き、本宮三社に参詣した。
3つに分かれた月とはどんなものだろう?
ここ大斎原の河原で月を見上げたら、それはそれは明るく美しい月が見えることだろうな。
熊野権現が唐からやって来た神とここには書いてあるが、別の縁起では、堂々、天竺、つまりインドにルーツがあるとしているらしい。
ムムム。
ここ熊野を跋扈した古い神々は種々雑多なルーツと伝承をもち、それがまた種々雑多な形で今に伝わり、そして種々雑多な人々が、それぞれ勝手な目的でこの地を訪れて来るというわけだ。
深い山々に囲まれた、厳粛で神聖なる熊野の神域・・というイメージをずっと抱いてきたけれど、古文書に記された縁起は、ずいぶんとおおらかであっけらかんとしていた。
さて、そろそろ山を下りる時間だ。
バス停のそばにある世界遺産熊野本宮館という、いかにも行政が税金を使って建てましたという施設でサッカー関係の展示を観たりして(とはいえサッカー小僧は見学必須)、バスで新宮の町へ行き、そこから電車で紀伊勝浦の温泉宿へ向かった。
新宮行きのバスは、またしても我々の他に乗客はたった二人だった。
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