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2021年10月16日01:31

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「007 ノー・タイム・トゥ・ダイ」を見て。〜あらためて、心に刻む。ボンドも、また、傷を負い、血を流すのだと〜

(注:ネタバレはありませんが、描写や映像表現に触っているので、その点ご承知おき願います。)

この英国諜報部の許可番号には、全世界を股にかけたスペクタクルの興奮が約束されると共に、紳士の国らしく、スーツや、車に、お酒の嗜みに、世界の危機に立ち向かう行きがかり上、不可欠なラブアフェアと大人の憧憬の提供も約束されると広く認知されて、現在のブランドが、築かれました。

1962年の初代ショーン・コネリーから綿々と演じ継がれて、007ジェームズ・ボンドは、半世紀以上もエンタテインメントのアイコンとして君臨してきたわけですが。しばしの「お楽しみ」を提供してくれる、ダンディな象徴的存在を、継承しつつも、感情を持った一人の人間として我々に見せつけてくれたのが、6代目のダニエル・クレイグであります。

愛着の強いクライム映画「蜘蛛女」の原題、ロミオ・イズ・ブリーディングを、感想の見出しでアレンジしてみました。ロミオ、つまりは「色男は、血を流している」。それまでは、作品登場ごと、世界の危機つまりは、活躍の場に呼ばれてボンドは登場して、観客と共に危険な目には遭っても、当然のように切り抜けて来ましたが。先代までの傾向として、作品が、ビッグになってしまったのもあって、決まった「お約束」を果たす「駒」の存在に、おちいっていた印象を、個人的に受けておりました。

ところが、クレイグ版ボンドに変わってから、00コードを貰ってからの諜報部員としての経験を積む過程に、本来は「私情」を持ち込んではならないところ、1人の女性を本気で愛したが為に任務遂行に支障をきたし掛けて。伝統に乗っ取って、スーツ姿で、「華」のあるところは見せながらも、抱え込まれた心理的葛藤が垣間見え、それ故に、シリーズの見せ場も、より感情的で、時に痛みすらも伝わってきて、ボンドの姿を通して、より、作品に入り込めました。そんなところから、別映画の原題をパクって、感想のサブタイトルとして掲げた次第。

前述した、それまでと異なるシリーズ色をクレイグ版1作目「カジノロワイヤル」で打ち出した訳ですが、作品を重ねるに従って、英国諜報部のお馴染の面々が、ボンドの後方支援に控えて、お決まりの敵対組織も全容を現したけれど、手放しで面白がる訳にいかない、因縁の有刺鉄線が纏わりついて、ボンドをじわじわ、痛めつけて来て、タダでは「お決まり」を踏襲していないのだけど。

そんな、前作までの流れを汲んで、漸く、お目見えした、6代目ボンドの集大成。本当に、現代の生物化学やテクノロジーで実現可能か分からないけれど、英国情報部の政治的立場も道連れにする練られた究極の危機に、因縁に運命と持ち前の感情も入り混じって、状況も内面も追い詰められるボンド。作り手は代っても、クレイグ・ボンド1作目からの作品カラーを、今作の終幕まで貫いた完成具合に、万感胸にせまってまいりました。帰宅して、ドライマティーニでなく、第三のビールですが、杯をあげずにはおられませんでした。

ビリー・アイリッシュの主題曲と作り込まれたオープニングタイトル前の、作品の「ツカミ」にあたるシークエンス。作品の「売り」であるアクションの初っ端の見せ場で、ありますが。景勝地を背景にした、体を張った見せ場と共に、クレイグ版は、リアリティ基調で、そぐわない荒唐無稽なスパイグッズは、当然抹殺されたけれど、シリーズ開始当初のアストンマーチンのクラッシックカーが出てきます。クレイグのシリーズでも、何度か、出てきましたが、初代ショーン・コネリーが乗り回した時の「特別装備」が、現代仕様のアレンジが施されて、カーチェイスで、時代の隔たりを感じさせない威力を見せて、長年親しんだファンへのサービスも抜かりが、ありません。

そのうえで、初任務の時の「傷心」から、年月を経て立ち直り、めぐり逢ったレア・セドゥ扮するマドレーヌと、ボンドは、添い遂げようと心に決めて。ハネムーンで訪れたイタリアの地の風習にあやかって、それぞれの「過去」にケジメを付けるべく、それをしたためた紙を燃やして投げ捨てて。短いけれど、こんな情緒的な描写も従来に無い描写。生来の気質か、任務で培ったのか、マドレーヌから敵対勢力の陰が払えきれず、ボンドは、彼女に「別れ」を切り出す。大概は、日常生活から作品世界への着火点の役割を果たして、引きずらないのが「ツカミ」だったけれど、そんな決めつけを覆して、作品のあたまから、続く展開へと残響を震わせて、特に、本作では、従来の「ツカミ」の印象が違いました。

シリーズ最長尺の上映時間も全く弛まないのは、見せ場をたてて、ボンドの任務と感情のせめぎ合いも、ストーリー展開に水を差す、とって付けた描写が省かれているのもある。今回、ボンドの前に立ち塞がるサフィンも、敵役に相応しい強大な地位の持ち主である事を納得させるよりも、マドレーヌとボンド双方にとって、それこそ「生殺与奪の権」を握るというか、それぞれの運命に深く係る存在であるのが先に立つ。「ボヘラプ」で、オスカー獲得したラミ・マレックの起用も、彼が持つ「時の輝き」も借りて、そんな、敵役を産み出したかったのでしょう。

設定どおりに揃った諜報部のサポートメンバーも、すっかり馴染み感が出ていて。Q役には、演技巧者のベン・ウィショーが起用されているのもあって、作品を追うごと、これまでの老人Qよりも、人物像が掘り下げられているし。上司役Мのレイフ・ファインズは、権力闘争に執心で、5年振りに本部の彼の執務室に現れたボンドに、権力の象徴に見立てた00課の上長の机よりも、「小さくなった」と、国家の保安よりも、体面維持に腐心している元上司を痛烈に批判されたりする。

しかし、何と言っても、本作が、はじめましての脇役で云うと、キューバ現地のエージェント・パロマ役のアナ・デ・アルマさんに、尽きます。この人大丈夫かって、言動で現れたけれど、窮地になるや、セクシーなドレス着用なのに、意に介さないガンアクションで、肢体を活かした働きで目を引くと共に、テンション張る状況でも和ませてくれて、刹那さが覆う本作にあって、Qと共に、いいアクセントになっていて。本作だけで、出番が終わってしまうのは惜しいなぁ。

半世紀も、映画界に君臨するシリーズ作品として、約束されている「見せ場」は、本作も当然、保証されていて。その期待に応えるべく、奇をてらわず、娯楽作の王道の仕事ぶりを見せてはいるけれど。過去シリーズを踏まえた、こだわった表現が、引っかかりました。劇中、数回イントロが流れたらしいのですが、終幕に、「女王陛下の007」で挿入歌だった、ルイ・アームストロングが歌う「We have all the time in the world」が、聴こえます。

本作のタイトルを、荒っぽく訳すと「死ぬヒマもない」で、実際、クライマックスの銃撃戦で、黒人女性のダブルオーエージェントが、究極のウイルス開発者に言い放っていますが。その激闘後に、「世界中の時間が、手許にあり余っている」って、これも大雑把な訳ではあるけれど。ボンドの本心と、任務との板挟みの末に、手にできたとしたら、愛の歓びを歌う大らかなサッチモのボーカルなのに、あまりに違った様に聴こえます。

半世紀になるシリーズを踏まえ、初心を守りつつ、「型」を破ったダニエル・クレイグ版。主演作5作は、これまでの歴代ボンド演者の者と違って、時代性に合わせて方向修正して、1人の人間であるボンドの心持ちと、その応えである任務での「働き」を見せ場として、娯楽作品の面と、ヒーローアイコンの内面の掘り下げを両立させて、創始者のショーン・コネリー版と、双璧のシリーズとなりました。

「ウォッカ マティーニを ステアーじゃなく、シェイクで」、クレイグ以前のボンドも、必ず、カクテルの注文には、口にしたセリフですが。クレイグ・ボンドは、1作目で、思い付きレシピで、こさえて貰った「ヴェスパー・マティーニ」を、その後も、ことある度に飲む。その、苦いあと味に、暫く、酔う事とします。

いつも通りの拙文にお付き合い頂き、ありがとうございます。
シネプラザサントムーン劇場��にて

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