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2021年09月25日10:38

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「サマー・オブ・ソウル(あるいは、革命がテレビ放映されなかった時)」を見て。 〜あの頃と変わらぬ生き難さにあって、すたれない自由と生の歓びで満たしてくれる多彩な音楽祭典の記憶〜

ブラック・ミュージックにうるさい限られた人達に向けられたドキュメンタリーではなく、間口は広く開けられた作りであります。(なんせ、アカデミー賞に多くの作品を供給している、サーチライト・ピクチャー社製作ですからね。)

1969年、ニューヨークのハーレムにあるマウント・モリス公園で6週間に渡って行われた「ハーレム・カルチュラル・フェスティバル」の公演を録画した膨大なフィルムが、とある地下室から見つかって。それを、現在の再現技術を駆使して抽出した名だたるミュージシャンの貴重なパフォーマンスを、ただ見せるのではございません。

半世紀を経て発掘された、たった一度のフェスの紹介が目的ではあるけれど、当時の別の報道映像を補足し、編集したフェスの映像を、出演者、関係者の見せる側と、公園を埋め尽くした観客だった見る側の人達に見せた証言も織り込んで、埋もれたこのフェスの企画の意義と社会的背景も検証しつつ、本編を通して、ファッションや生活背景などブラックカルチャーも垣間見えて、楽しみどころが、散りばめられています。勿論、公園をギッシリ埋め尽くした観客を沸かせた、ステージ上の演奏にも、高まりが止められません。

このフェスが、開催された年には世に生まれ出ていましたが、完ぺきとは言い難い歴史認識は、人生経験と共に形成されておりまして。本編でも、フェスとは別映像で、ケネディ大統領を口火に、マルコムXも襲われ、劇中、ルーサーキング牧師が凶弾に倒れる様子の詳細が語られる。更に、ハーレム周辺での暴動と過剰な体制の鎮圧や、ベトナム戦争へ徴兵される若者たち。これまで見て来た映画等の記憶から、この時代の人種隔離といった障害を盛り込んでいたものの記憶と通じ合って、浅い理解が、また少し開けて行く。

そう云った「過去」の経験を活かして、時代は変わるどころか、半世紀以上を経てもアメリカどころでなく、日本を含む全世界で、未だに「過ち」は繰り返されております。どうしても、現在を嘆き、過去の美点ばかりに目が引かれがちですが。このフェスが行われた当時、保守層を代表する共和党のジョン・リンゼイ市長は、黒人をはじめとする少数民族に係る問題を改善しようとハーレムにも頻繁に足を運んでいて、タレントでもあった主催者の黒人トニー・ローレンスが持ち込んだ構想の快諾によって、このフェスが実行の運びとなった。リンゼイ氏は、後に所属政党を代えたようですが、当時はまだ、「融和」的政策が、保守層からの歩み寄りによって、行われていた点では、将来が開かれる余地があったかの様に見えてしまう。

また、市長と聴くと、恰幅の良い名士的な容貌を想像しがちのところ、主に静止画だけでしたが、ハーレムで住民の声を聴取するリンゼイ氏は、スマートな体つきにタートルネックのニット姿が洗練されていて、我が国の政治屋さん達には見受けられない伊達者の印象。そして、ルーツであるアフリカ衣装だとか、赤や黄色の暖色、緑や茶だとかのアースカラーを見にまとった観客席やステージ上のアーティストの現代の映像再生技術で蘇る、当時の色合いに、珍しい衣装のパターンを目に出来て、難しくない感覚的な部分でも入り込む要素があったりします。

かように、たった一回のイベントの開催経緯にまつわる背景や、フェスが行われた6週間のあいだ、ハーレムに住む人達に熱気を持って迎えられたかを、別記録映像と、蘇ったフェス映像を見て当時を回顧する、存命のフェス出演者や、その先輩たちに影響を受けた音楽関係者、そして、幸運にもステージを見られた観客の証言で、厳選された貴重映像を盛り立てる。この「引いた目線」の数々が、ただ無造作に半世紀ぶりに陽の目を見た希少性を、押し付けるのではない工夫創意、そして作り手の熱意によるもので、作品への入り込み易さに結び付いている。

知られる事のなかったフェスの発掘意義だけを推さず垣根を下げた事で、ステージの映像から、見た人それぞれの「発見」が、あるでしょう。

スティービー・ワンダーは、80年代の地位も築かれて見た目通り、どっしりと落ち着いた体型を揺すってキーボード演奏する印象で固定されてたから、ドラムを叩く10代の頃の痩身の激しさは斬新だったし。ボンド映画の主題歌で覚えていたグラディス・ナイトって、昔を語る今のお姿は、静まった夜という顕名を添えて奉りたい人間国宝の域に、ふけゆきておりますが。舞台で当時のご本人は、小学生が身に着けるようなジャンパースカートで、男性コーラス3名を従えて。舞台左手やや奥に控えて踊る男三人の振り付けが、また、分かり易い上に大らかでなんとも、ユーモラス。

そして、スライ&ザ・ファミリーストーンは、白人黒人混合のバンドで、この作品でもクライマックスに置かれた、「ウォナ テイク ハイヤー(もっと、高いところへ行こう)」って、キーボードを弾きつつ、客席にレスポンスを煽るスライも、なかなか沸かせます。中でも、後方でクールにビートを刻む白人ドラマーと、トランペットを鳴らしつつ、途中でボーカル参加もするアフロの黒人女性の二人が、特に際立っていた。「Mr.ノーバディ」の取り調べ場面に流れる「悲しき願い」のライブ場面を密かに願っていたけれど、公民運動活動とか、当時すでに意識が高かったニーナ・シモンさんは、集まった観客にアジテートで自覚を促して。期待したヒット曲の歌唱は、ツユと消えてしまいましたが。

既に想定字数を超えてしまっておりますが、出演者について軽く触れるつもりが、このあり様。企画に賛同した数々のアーティストが集まる訳だから、ステージが多様なものになるのは当然だけれど、今日、我々が耳にするサウンドに連なる「流れ」を遡って、様々なジャンルがステージ上をうねって、彩る。アレサのライブ映画でも見たばっかのゴスペルの伝統があって、当時、隆盛を迎えたモータウン所属アーティストによるヒットソング。ブルースに、ジャズ、そして、「イン・ザ・ハイツ」で耳馴染んだラテンのリズム。言ってしまえば「音の宝石箱」なのだから、詳細に触れずには、済ませられないもので。

ここまで長くなると、目を通されてないかもしれないが、作品で取り上げられたアーティストで、書き残したいのは、黒人男女混合のボーカルグループ、フィフスディメンションの件。披露したのが、「アクエリアス/レット・ザ・サンシャイン・イン」、ベトナム戦争への反戦を主張したミュージカルナンバー2曲を取り合わせたカバー曲です。もはや、死語となっているヒッピー文化にあって尊ばれた占星術にちなんで、調和と理解に満ちた愛情あふれる時代の幕開けを告げる星の並びとなると、曲の多くを占める「アクエリアス」では歌われて。終わりの演目曲「レット〜」の一部のフレーズ、大雑把には、「皆、日向を歩む権利がある」的ニュアンスを少々添えて、カバーも締めくくられます。

昔、映画化されたヘアーを見て以来、久しぶりに耳にした懐かしさと、証言としてメンバーが語る、シングル曲化される奇跡的なエピソードを知られた嬉しさもあったのですが。続いて、メインボーカルの女性が、当時を振り返って、「一部の人から、黒人のくせに、白人が作った曲を歌いやがってと責められたけど、良い歌に人種は関係ないと、めげなかった」と語って。この手の誹謗中傷も、昔から変わらないけれど、それを超えるプロシンガーとしての不屈の気持ちと、作品への愛情で世に送り出された事実を知らされて、目の前が少し霞んだなぁ。続いて、当時のステージで自信に満ち溢れ歌う彼女に、少年だった自分は釘付けで、思えば初恋だったのかもと、幼い頃観客だった黒人男性のはにかみが含まれた発言が、加えられて、微笑ましい気分が湧いて、編集構成の妙が現れていました。

このドキュメントを手掛けた監督ですら、たった一度きりのフェスの存在を知らなかったくらい、69年の映像の掘起しの意義は、深く大きかった訳ですが。もちろん、その価値は多くのミュージシャンによって高められたものだけれど。このコロナ禍にあって、我が国では、感染抑制を乱した悪例として、どこかのフェスが、槍玉にあがりました。単なるハメ外しの口実と受け取られてしまったフシもあるが、本作を見ると、こういう音のお祭りに参加が出来るという事は、当たり前にあるべき自由を五感で感じられる、意義あるものだと、見終わって、しみじみ沸き上がってくるのです。

ここまで拙文にお付き合い頂いたなら、大変ありがたいです。
シネプラザサントムーン 劇場��にて

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