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2021年08月15日20:48

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大河ドラマ 青天を衝け 第24回「パリの御一新」

・血洗島の渋沢家に杉浦愛蔵が訪ね、渋沢篤太夫からの手紙を届けに来る。中には洋風姿の徳川昭武、渋沢篤太夫の写真が入っていた。その写真をみた千代はとても驚く。

・1868年1月 日本から渋沢篤太夫のもとへ手紙が届く。徳川慶喜は大政奉還したとの知らせである。徳川昭武は篤太夫に引き続きパリで学びたいという考えを示す。

・1868年2月 日本からの続報の手紙が、届く。徳川慶喜が京から大坂城に引き上げた知らせであった。あわせて、渋沢平九郎から手紙が届き、尾高長七郎は赦免されたとの知らせであった。また千代からも手紙が届き、洋風姿は篤太夫らしくないので、もとの侍姿にもどってほしいとのことであった。

・1868年3月 横浜新聞では京と大坂で戦が始まる。いわゆる鳥羽・伏見の戦いで、幕府軍が薩摩軍に敗退。徳川慶喜は大坂から江戸に戻り、幕府軍は朝敵の汚名を負ったとの知らせであった。その後、渋沢篤太夫は徳川昭武と対面。昭武に慶喜になぜ最後まで薩摩軍と最後まで戦わないのか建白書を書くべきだと進言する。

・1868年閏4月 渋沢誠一郎から渋沢篤太夫に手紙が届き、薩摩・土佐軍と戦い負傷したのことで、徳川慶喜は上野寛永寺で謹慎中との知らせであった。

・1868年5月、新政府より徳川昭武のもとに手紙が届き、パリへの留学を中断し、日本へ帰国せよと書かれていた。渋沢篤太夫は徳川慶喜がパリでの留学はそのまま続けるよう指示があったので納得がいかなかった。

・1868年7月 水戸藩主がなくなったので、藩主のあとを継ぐため急ぎ日本に戻るよう連絡がある。しかし、日本から戻ったロッシュは今は会津で幕府軍と政府軍が大戦の最中であり、今、日本に帰るのは危険であり、そのままフランスで学問を続けるよう勧める。

・そんな中、渋沢篤太夫は証券取引所を見学、市民による株式投資により会社を作り、会社が潤い、出資者も会社から配当をもらい、皆が潤う資本主義社会を学ぶ。篤太夫はこれが自分の探し求めていたものだと喜ぶ。

・徳川昭武は日本に戻ることを決心する。そして、昭武は渋沢篤太夫に日本に戻った後も
そばにいてほしいと頼む。そして、1868年8月30日 昭武と篤太夫はパリから日本への帰国の途につく。

(感想)
・もう徳川家康は登場しないのでしょうね。

・今回はパリで日本からの手紙が届くかたちで、戊辰戦争の様子が描かれる。毎月、日本の様子が届く描きかたはよかったです。

・尾高長七郎は赦免されてよかったです。今後は尾高家で惇忠の右腕となって尾高家を支えていくこと期待しています。

・武蔵国の戦で、官軍にやられたシーン、誰が傷を負ったのか気になりました。

・パリ編は3回にわたって描かれていました。渋沢篤太夫は約1年以上パリにいたのですね。また次週からは日本編。どのような展開になるのか楽しみです。

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