本作に、心とらえられるのは、ミュージカルという「ジャンル作品」のフォーマットのもと、スポットライトを当てられた、中南米系のラティーノの男女四人が抱える葛藤の顛末が、キチっと創り上げられて、まず、久方ぶりに清々しい気分が味わえます。そのうえに、ニューヨークの若者世代だけでなく、国籍や、年齢関係なく、「世代的繋がり」が描かれているので、見た目に寄らず、話に「深み」があって、共感が寄せられるうえ、グローバル化の中、街のあり様とか移民事情とか、ジャーナリスティックな味付けと、なにより、大掛かりなロケ撮影や映像ならではのアーティスティックな手法も、作品に陰影と華を添えていて。ハリウッドのメジャースタジオ作品にしては、「単純に、オモロイ」だけでは終わらない。飛躍すると、若さ故や、マイノリティー故の苦みもあって、甘いばかりではないけれど、ミルフィーユのごとき、繊細で、人当たりの良い「味わい」が、幾重に重なった面白味にあります。
ともかく、突然歌いだしたりするのが許されない時代にあって、この作品で、物語を歌い進める「前提」を設け、巧くクリアしています。冒頭の部分で、ナンバーにのせて主要登場人物を一通りサラって、この後の展開に見る人の意識付けをした後、語り部である親から引き継いだ「よろず屋」を切り盛りする青年ウサナビが、店を出て外行く人達の中に紛れてカメラが引いてゆくと、街並みを埋める群衆を捉えた、ロケならではの大規模映像。これで、もう、「つかみ」はオッケー。
あとは唄うように語って進むに身をまかせて、気が付けば感銘深きフィナーレに到着。
ラティーノの青年ウスナビの名前の由来にも、異国の地を踏んだ人々の、アメリカに抱く希望や、多くの人種を迎え入れた懐の深さが、現れています。
ニューヨークの繁華街とは離れた一角で、男女四人は、キャリアアップを望み、行ったことのない祖国への帰還を夢みれば、挫折を味わう者が居る一方、叶わぬ想いに身を焦がして、それぞれが、進むべき道を模索する。そんな彼らを見守る、父や街の祖母的存在、若者たちからすると一親等二親等にあたる人達の背景や、会話から、祖国を出て、受け入れられたアメリカの地が「故郷」となるまでの経緯に、上陸した異国民の入れ替わりで、街も移り変わってきたのが、見えて来る。
ラップだとかストリート系の音楽表現に、サルサだとかラテンの調べも相まって、よどみなく場面やナンバーが展開する中、セリフも効いていて。特に、街の祖母的存在のアブエラ婆さんが発する言葉が、移民始祖ならではの「おもみ」が、あります。彼女らが、異国の地に深くおろした「根」を足掛かりに、若き男女は、次の世代の為に、異国の地である街を、確固な故郷として芽吹かせる。
見た印象を、大変堅苦しい「脚色」で書き上げてしまったけれど。映像化らしい、ビビットでアーティスティックな、ナンバーのドレスアップで刺激して。また、万華鏡を覗いたごとくに、中心のダンサーから幾何学模様的に広がる、バークレイ・スタイルって、昔々の1950年代のミュージカルシーンのオマージュに、重力から解き放たれて、男女が壁の上で踊る、舞台では難しい映画ならではの表現もあって、本来ミュージカルものにあるべき、ロマンティックな雰囲気に溢れているので、ソレを狙って、まず、外す事ない作品です。
劇場に掛かっている限り、浸っていたいものです。取り急ぎ、まとめた次第。
拙文にお付き合い頂き、有難うございます。
シネプラザサントムーン 劇場��にて
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