mixiユーザー(id:6354345)

2021年07月11日20:51

49 view

大河ドラマ 青天を衝け 第22回「篤太夫、パリへ」

・渋沢篤太夫は約55日の船旅で、横浜→上海→スエズ運河(建設中)→地中海→パリへ。そして、篤太夫はパリの凱旋門を目にする。その後、パリグランドホテルにチェックインする。

・その後、徳川昭武一行はパリ万国博覧会会場へ。渋沢篤太夫は目にするものがすべて新しいもので驚く。そして、日本の展示会場を視察するが、その隣には琉球の展示会場があり、薩摩藩の旗があった。そして、薩摩藩の展示場で篤太夫はモンブランと対面する。

・幕府側は薩摩藩に対し、琉球の名前と薩摩藩の旗を取るよう忠告する。薩摩側にはモンブランがいた。交渉の結果、幕府側は大君、薩摩側は薩摩大守の名前で展示することで双方、合意した。

・しかし、翌日の新聞でパリ万国博覧会の記事が書いてあり、日本は一つの国家ではなく連邦国であり、大君は一大名であり、薩摩大守より、幾分力が強いという将軍と大名が同格という表現となっており、実際のところ薩摩大守政府という表現になっていた。

・徳川昭武は徳川慶喜の名代として、ナポレオン3世と謁見し、日本国とフランス国のよしみを結ぶ。

・日本では大坂城にて徳川慶喜とフランス公使ロッシュが交渉し、フランスは幕府の手助けをすると申し出る。また、慶喜はイギリス公使パークスとも交渉する。パークスは慶喜の聡明さを警戒する。

・二条城にて徳川慶喜は島津久光、松平春嶽らと対面。久光は慶喜から政の主導権を奪おうとしていたが、慶喜は久光の策略には乗らなかった。その後、慶喜は久光、春嶽らに写真撮影につきあわせる。

・尾高淳忠は尾高平九郎に渋沢篤太夫の願いにより、渋沢家の養子となることを相談する。平九郎は兄 淳忠の相談を了承し、篤太夫の養子になることに。

・その後、幕府の使節団は経費削減のためホテルからアパート暮らしに変更する。渋沢篤太夫は徳川昭武のアパート代の値引き交渉に成功する。昭武の家臣はこのアパートではだめだと不満を言うが、昭武は篤太夫の働きに感謝し、このアパートに住むことを決める。

・日本の薩摩藩では五代才助がフランスに根回しし、幕府の地位を落とすことに成功したことを大久保一蔵に報告する。

・江戸ではフランスからの6百万ドルの借款の話はキャンセルになったことを小栗忠順が報告を受ける。当然のことながら渋沢篤太夫もその知らせが届き、落胆する。

(感想)
・幕末のころは日本からフランスまで約2か月の船旅、気の遠くなるたびだと思いました。

・バリ万国博覧会はおそらく1866年、最初万国博覧会 ロンドンは1850年でしょうか。
 これが今の万博、2025年に開催される大阪万博は万博開催開始から175年と長い歴史があると感じました。

・パリ万国博覧会での幕府と薩摩藩の2つの出展会場、薩摩藩の謀略により、幕府と薩摩藩は同格とみなされ、その結果として、フランスから幕府への借款は見合わせに。

・徳川昭武とナポレオン三世の謁見シーン。ナポレオン三世かなり貫禄ありました。そして、昭武の持っていた書状の名には徳川慶喜ではなく源慶喜と記載されていいたことにも驚きでした。

・今回は徳川家康は欠席、いよいよ来週が最後の登場でしょうか。

・徳川慶喜が英語を話す場面初めてみました。慶喜も英語話せたのか疑問です。
3 3

コメント

mixiユーザー

ログインしてコメントを確認・投稿する

<2021年07月>
    123
45678910
11121314151617
18192021222324
25262728293031