mixiユーザー(id:20808806)

2021年07月10日08:45

79 view

「アメイジング・グレイス アレサ・フランクリン」を見て。〜テイク・ミー・ハイアー レディ・ソウルのよりどころ、ゴスペルの響きが、彼女が編み出す更なる高みの境地へ連れてゆく。〜

あらためて、楽しい時間というのは、あっという間。

見終わって待つ面倒で煩わしい現実だとか、見ている作品の伏線や技法の解析なんかに、囚われることなく、スクリーンに映し出される熱の入った歌唱、演奏に食い入る。鑑賞マナーは、わきまえて、胸の内でのスゥイングに抑えたつもりだったけれど。映像に降臨した女王の歌声に導かれ、身も心も解放されて、鑑賞迷惑を掛ける寸前だったかも。

それほどの、無の境地は、久しかったのに、アレサは、後ろに控えていた専属の聖歌隊と歌の高まりからの掛け合いを教壇で果たすと、歌唱を終え、すっぱりと熱気を切り上げた。まだまだ、続くつもりでいたところでエンドロールが、映し出されて。当時のその場に居たら、無心にアンコールアピールをしたのになぁ。「作品完走」に心配もあったけれど、飽く事が全くなく、むしろ物足りなさが残る位の良いあんばいの心持ち。

1972年1月13、14日の二日に渡りロスのバプティスト教会で行われたコンサートの模様の記録映像。教会といっても、祭壇の奥に宗教画が掲げられている以外に、それと判る装飾も無く、跳ね上がり式シート付座席が横並びに等間隔で設えられた視聴覚教室と見紛う会場。この模様は、既にライブの名盤として「音源」は、知れ渡っているのですが。当時、シングルヒットを何枚もチャートに送って、アーティストとして成功を収めていたアレサ・フランクリンのライブ映画も併せて製作したのだが、初歩的なミスで映像と音声を合わせられず、お蔵入りしていた。それが、デジタル技術によって解消されて、約半世紀の空白を経て、こうして極東の地でも、見られる運びとなりました。

神父である彼女の父が、公演二日目に招待されており。父の弟子であり、会場の教会の神父でもあるジェームス・クリーブランド氏に促されて上った祭壇で、父親による、九割九分娘自慢成分の説法が、映像にありまして。アレサは、子供の頃からゴスペルを歌唱していて、ジェームス氏とも、父親の目前で披露していたそうで。ソウルの女王として、世間で名前が通ったけれど、ハヤリやセールスだとか商業的価値存在を、一端、追いやって、幼少から慣れ親しんだゴスペルと、馴染みの教会で向かい合う。彼女に期待するヒット曲ではなく、そこに来れば誰もが耳にする普遍的なナンバーによって、自身の歌声が、どれだけ聴衆に響くのか、内に培われた歌う事への喜びや意義を噛みしめつつも、歌い手として、さらなる高みの境地へと踏み込むべく、教壇のマイクの前に立ったのか。

全く持って、あてずっぽうの自己推察は拭いきれないが。本来、歌の神髄に向き合うことで、歌唱の才能を持つ者だけに開かれる「次元」に、その激しく衝動的な摩擦から生じる歌の「引力」で、何も無い聴衆者である観客までも、寄せ付けるようで。歌ってもないし、勿論、素養なんか持ち合わせてないのに、足元が浮き立つような、ハイな気分を、お裾分けしてもらったよう。

それもこれも、音源だけでなく、アレサ本人はじめ、彼女の専属のバンドに、幼少の頃から共に歌って来た神父のジェームス・クリーブランド氏と彼が率いる聖歌隊、そして舞台の指揮を執るアレキサンダー・ハミルトン氏。彼女らの挙動が、視覚認識できたからこそ、当時の公演に深く入り込めたのだろう。映画のタイトルにも掲げられる「アメイジング・グレイス」を披露する際、開演前の告白通りに、ジェームスさんが、アレサの歌声に感極まってピアノ伴奏を途中でアレキサンダーさんに替わってもらって、すぐ後方の席で、大きな背中を丸め、顔にタオルを押し当てて嗚咽したかと思えば、立ち直って、感涙を催したその歌の終わり尻では、熱唱するアレサの隣に立って、客席からは見えないように、彼女の背中の方で手を握って、会場の興奮の裏で感激を伝えあっている様子が、収まっているし。

会場での歌声が、そのままレコーディングされるという事もあって、より高い緊張感で、公演に臨んでいたのでしょうけれど。ある歌では、こちらでは特に変な歌い出しに聴こえなかったのに、教壇に立つアレサが、その時ピアノを弾いていたアレキサンダー氏にアイコンタクトを送り、演奏を止めさせて、そのナンバーをあらためて仕切り直した状況まで写されていて。

表現者が、キャリアを通して培った感覚なのか、独特な「空気」も垣間見られたし。
フィルムの感度が悪いせいで、ライティングがキツイのか、始めからアレサは、汗だくで。2日目なんか、説法で壇上に呼ばれたお父さんは、それが終わった後、自身のピアノ演奏で歌い出すアレサの顔前面を、片手で広げ持ったタオルで覆いふき取る、肉親ならではの強引さもシッカリ撮られて。この撮影を仕切っていた、監督のシドニー・ポラックも、割かし平気に画面に映り込めば、お忍びで来場してたミック・ジャガーも、当初は後方の席でノリノリの様子が捉えられてたけど、前の席の一般人も興奮で立ち上がったら見えなくなってしまって。その後、スタッフの手招きか、前方の席に移動してたのも判りました。

作品タイトル曲以外は、全く馴染みのない新鮮なゴスペルとの出会いとなる事を想像してましたが、他にも馴染みの歌がありました。「オールド・ランドマーク」と云うナンバーです。「ブルースブラザース」で、彼ら二人が、神からの「バンドを復活させよ」の掲示を受ける際、ジェームス・ブラウン扮する神父が教会で披露してたあの歌を、アレサが聴かせてくれて。会場内も最高潮で、彼女の歌声も熱を帯びている訳ですが。ゴスペルの神髄は、コールアンドレスポンス。歌も、一通り終えようかとするのですが、感極まった彼女が、後ろに控える聖歌隊の面々に呼び掛けて、歌声の応酬を相互に繰り広げて。

ゴスペルの意義は、教会に集まる人々に教えを説く事にありますが、信仰に対する色眼鏡は抜きに、歓喜の心から放たれる歌声というものは、帰依とか関係なく、聴く者に問答無用で入り込んで来て、心を沸き立たせます。

シドニー・ポラックの監督不行届きで、ボツ映像として仕舞われてたものが、こうして蘇って、当時のアレサ・フランクリンの歌声がもたらす「興奮」が目の当たりにできて。詳しい技法は、知る必要もないけど、本作に関しては、有難きデジタルの力。ちっとは、この興奮が、伝わったかしら。

拙文にお付き合い頂き、ありがとうございました。
シネマサンシャイン沼津 シネマ7にて。

6 6

コメント

mixiユーザー

ログインしてコメントを確認・投稿する

<2021年07月>
日 月 火 水 木 金 土
    123
45678910
11121314151617
18192021222324
25262728293031