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2020年07月22日00:57

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私の城下町・山梨・甲府

甲府藩 徳川氏→柳沢氏 25万石→20万石→25万石→15万石

甲府とは甲斐の府中という意味で、戦国時代に甲斐の守護だった武田信虎によって名づけられています。
JR甲府駅から北へ2キロ余り、武田氏の館であった躑躅ヶ崎館があります。
今でも立派な堀があって、現在は武田信玄をまつった武田神社になっています。
戦国時代は躑躅ヶ崎館の前に城下町が広がっていました。
しかし、今はそれらしき雰囲気はほとんど残っていません。
ただ道路が碁盤の目状になっていて、これは京都の町をモデルにして地割が行われたからではないかと見られています。
現在の甲府城が築城されたのは、甲斐が徳川の勢力圏に入ってからのこと
それ以降。甲府は江戸の西の守りとして徳川将軍家の係累や綱吉の寵臣だった柳沢吉保が城主となりました。
甲府は幕府が重要な拠点であったにもかかわらず、城下町の規模は小さいですが、富士山の眺めがすばらしく、富士山を見るためにこの町に立ち寄るのも悪くはありません。
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