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2020年05月24日01:02

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伍連徳〜伝染病防止に賭けた人生〜(2)

1月2日、北洋医学堂の首席教授、フランス人のマスニが派遣されてきました。唐山でペストが発生した時に防疫に当たった経験のある医師です。天津で伍連徳とも面識がありました。伍連徳がハルビン駅前のロシアホテルに滞在しているマスニに会いに行くと、冷淡な対応をされました。伍連徳が研究結果と「肺ペスト」の説明をして、呼吸から感染するのを防ぐためにマスクをする必要があると言いましましたが聞き入れません。自分はペスト防止の経験がある、ペスト防止には一にネズミ退治、二にネズミ退治、ネズミの退治こそがペストの感染源を断つのだと主張し、経験の浅い中国人の若造に口出しされたくないと言い放ちました。

マスニは施肇基に対しても、自分を東北三省の防疫の総責任者に任命するよう求めました。伍連徳のほうも、施肇基に対してこれらの状況を知らせる電報を打っていました。
施肇基が両者の言い分に悩んでいたところ、フランス大使館がマスニを東北三省の防疫総責任者に任命するよう要求してきました。

施肇基は外務部でも相談し、やはり伍連徳を支持したいという見解になりました。そしてイギリス大使に相談に行きました。イギリス大使はケンブリッジ大の医学博士の経歴を重要視し、マスニの経歴がそれには及ばないと言いました。
施肇基はハルビンに電報を打ちました。伍連徳を引き続き東北三省防疫総医官とし、防疫活動の全権を委ねる、というものでした。

マスニはこれに腹を立てて、ロシア鉄道病院を訪ねました。清朝が自分を防疫の任務に当たらせないなら、ロシア病院で防疫に当たりたい、と。病院長はこれを受け入れ、マスニはロシア鉄道病院で防疫活動をすることになりました。
伍連徳はこれを聞いて、マスニは本当に防疫のことを考えている医者なのだとわかりました。その後伍連徳はロシア鉄道病院にマスニを訪ねていきました。相変わらずマスクをしないで治療に当たっているので、マスクをするように勧めたのですが、ペストはネズミから感染するから不要だという持論を崩しません。

数日後、ロシア鉄道病院からマスニが倒れたという知らせが入りました。伍連徳が駆け付けると、マスニは高熱が続き、咳が止まりません。喀血した血液を調べるとペスト菌が検出されました。やってきた伍連徳を見て、マスニは自分が間違っていたことを認めます。まもなくマスニは亡くなりました。

ロシア人はマスニが滞在していたホテルを封鎖し、徹底的に消毒しました。著名なフランス軍医でペストの専門家であったマスニの死の知らせは世界を震撼させました。そしてハルビンが深刻な状況に陥っていることを悟らせました。
これがハルビンの防疫の転換点になりました。誰も伍連徳に反対しなくなりました。すべての指揮は伍連徳に任され、皆が従うようになりました。

人員もやってきました。北洋医学堂から医師14名、学生10名。さらに長春でも防疫活動の必要がありました。しかし人手が足りません。中国医も招集して短期間で訓練を受けさせ防疫に当たらせました。ロシア人や他の外国人も伍連徳の判断に従うようになりました。

列車の運行を制限し、旅客と貨物の移動を制限する、主要駅で検疫を行い、発病の疑いがあれば隔離する、一部の路線は運行を停止する、などの処置が次々ととられました。ロシアが支配する北満鉄道、日本が支配する南満鉄道もこれに倣いました。黒竜江省全省防疫会、吉林省全省防疫総局が設立されました。ロシア鉄道病院でも医者と職員全員がマスク着用を始めました。
防疫関連の仕事をする人はもちろん、ハルビンの住民全員がマスクを着用するようになりました。肺ペストは飛沫感染であり、マスクの着用が重要です。マスクを着用するだけで、ハルビンあるいは東北三省の人々の命を救うことができるのです。また、当時は消毒といえば硫黄と炭酸ぐらいしかありませんでした。これらの消毒剤が大量に使用されたため、日本人商人が大もうけをしたとか…。

また、傅家甸は四つの区域に分けられ、それぞれ主管医師が置かれて厳密に隔離されました。それぞれの区域に医者と警察が置かれ、毎日検査が行われ、疑いがあれば防疫病院に送られます。ロシア鉄道の車両が臨時の隔離病院として使われました。病院では毎日報告があげられました。傅家甸と外部との人の出入りも厳格に制限されました。このため、警察や軍人が防疫の訓練を受けました。隔離による感染防止の意識も社会に広くいきわたりました。

伍連徳も毎日傅家甸を見回りました。しかし死亡者の数はなかなか減りません。人々の中に絶望的な気持ちが広がっていきます。伍連徳はそこでひとつ見落としていたことに気が付きました。死体の埋葬です。

1911年1月28日の朝、伍連徳は傅家甸郊外の墓地を見に行きました。棺がたくさん運ばれていますが、冬は零下30度にもなるハルビンでは土も凍って、埋葬に十分な墓穴を掘ることができません。積みあがった棺にカラスが飛び回っている…凄惨な風景に心が凍る思いをしました。伍連徳は、この遺体を焼くしかない、と思いました。

中国では死者は土に入って安らぎを得ると考えられています。遺体を損ねるようなことはもってのほかです。中国では古来より「身体髪膚 之を父母に受く。敢えて毀傷せざるは孝の始め也」と言われてきました。しかし伍連徳は決意を定めました。ハルビン中の官員たちを墓地に呼び寄せ、マスクをしたうえで墓地周辺を回らせました。皆この光景に驚きましたが、一体どうすればいいのか…。春になってから土を掘って埋めればどうかという意見もありました。しかしペスト菌に侵された遺体をそれまで放っておくわけにはいきません。伍連徳は皆に直ちに遺体を焼くしかない、と言いました。

(続く)
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