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2020年05月13日01:21

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1910年のハルビンのペスト禍

このたびのCOVID-19の流行で、よく引き合いに出されるのが中世ヨーロッパのペスト、1930年代のスペイン風邪。
しかし私が思い浮かべるのは1910〜11年のハルビンのペスト禍です。
そのことを書いた日記があります。

「100年前のハルビンのペスト禍」
https://mixi.jp/view_diary.pl?id=1948769801&owner_id=1362523

このあとハルビンのペストを題材にした中国ドラマを見つけたので買いました。でも見る暇がなくてずーっとほったらかしにしていました。しかし今、交代出勤で家にいる時間が長い。しかもこれを見るなら今見るべきではないか?
そう思って一気に見てしまいました。30話を4日間で見てしまいました。

「浴火危城」というタイトルです。危険な街に注がれる火…というところでしょうか。英語が添えてあって、Fire Saves the City in Dangerと書いてあります。
↑の日記に書いてありますが、この時ハルビンのペストの防疫のために朝廷から派遣されたのが、ケンブリッジ大学で学位を取得した伍連徳という医師です。ドラマはこの伍連徳が主人公です。天津の医学堂で教えていた伍連徳は総医官としてハルビンに派遣されます。しかしハルビンの道台府(地方政府)の道台(一番偉い人)とその配下の県令は私利私欲まみれで事態の深刻さを理解しません。特に県令は保身のためには無実の人も平気で捕まえるしお金のために違法な取引も強要する極悪人。さらに、西洋医学を全く知らない現地の人々は聴診器を出しただけで「何それー」と抵抗します。中国の伝統的な医療では脈をとって診察し、服を脱いで聴診器を当てるなんてとんでもない。
さらにさらに、ハルビンはシベリア鉄道の延長でロシアが鉄道周辺の土地を支配しており、また日本人もたくさんいます。ロシアと日本の領事館ではハルビンを支配するため出兵の機会をうかがっています。
しかし道台と県令は悪事がばれて新しい道台がやってきます。県令は逃亡してさまよっているところをロシア領事に拾われます。そして伍連徳の防疫活動を妨害する工作員となります。

新しい道台が着任して伍連徳の防疫活動は進み始め、隔離病棟や研究室を建設します。
しかし患者を診ると、ペストに侵されているはずなのにリンパ腺には異常がありません。
このあたりの活動には史実が反映されています。伍連徳は日本の病院へ行ってペストの状況を調べます。ドラマでは触れられていませんが、この時期日本の病院には北里柴三郎(ペスト菌を発見した)の門下生がいたのです。日本の医師はこのあたりの鼠をとらえて調べているが、ペスト菌が検出されないこと言います。
やがて伍連徳は漠北(モンゴル国境付近)から来た人から、げっ歯類の一種、タルバガンの毛皮の商いをしたり食用にしたりしている人からペストが広がってきたことを聞きます。そして患者が肺に異常があることを知って、鼠から感染してリンパ腺を侵す「腺ペスト」ではなく「肺ペスト」であることを突き止めます。飛沫感染で肺に菌が入って肺を侵すのです。

そのため伍連徳は顔の下半分を覆って頭の後ろで結ぶ布を作ります。「これは何ですか」と聞かれて「口…口罩(コウチャオ)」と答えます。「口を覆う」という意味です。現在中国語で「マスク」という意味で使われています。

ということで、ハルビンの人たちに配って「マスクをしましょう」と呼びかけます。
熱のある人、咳のある人を探して隔離して隔離病棟に入れます。
…今の状況では他人事とは思えない実感のある展開…。

特にドラマでは触れられていませんが、このころのハルビンは国際都市。シベリア鉄道はパリまで通じ、ロシア人も日本人もヨーロッパ各地からも人が来ています。旅客機のない時代ですので、長距離移動は鉄道が命。
ペストは満州地域に広がっていき(中国でもついに「満州」という言葉を使ってもよくなったのか)、鉄道での移動が制限されて駅には検疫所が設けられるようになりました。移動の制限、国際的に人が乗降する場所では検疫…今と変わりませんね。

伍連徳はロシアの病院にも行って病院長に今回のペストの特徴を話し、マスク着用を勧めます。この病院長は尊大で身勝手な人物として描かれていて、マスク着用の勧めにも最初は反発するものの、やがて病院で着用するようになります。
一方ロシア領事は天津の医学堂で伍連徳とともに教師をしていたフランス人をハルビンに招くことに成功します。伍連徳の失脚を謀り、ハルビン総医官の地位につけようと画策します。そんな陰謀を知らない伍連徳はフランス人との再会を喜びます。そしてマスクをするように勧めますが、このフランス人は天津でも中国人をバカにする態度をとっており、ペストにマスクはいらないと言って無視します。ロシア人の陰謀はともかく、フランス人医師が伍連徳の勧めを無視しでマスクなしで患者を診ているうちにペストに感染して死んでしまうのは史実です。

ロシア人に拾われたもと県令は伍連徳への憎しみを燃やして勤めに励み、伍連徳や周辺の人たちを危機に陥れたりしますが、結局失敗してロシアから始末されそうになって逃げだします。追い詰められたところを…今度は日本人に拾われます。日本領事館でも日本が防疫の主導権を握るために伍連徳を失脚させようとして、さらに暗殺計画にまで発展していきます。今度は日本の工作員として働くことになりました。さらに日本領事ではペストの威力を見て、細菌兵器の開発を思いつきます。…ううむ。

ロシアや日本の陰謀ともと県令の逆恨みでたびたび危機に陥る伍連徳…ハラハラするんですけど、なんか、その展開間違ってない?ペストと戦う話では?と思ってしまいました。

さらに物語の後のほうでは革命党が満州地域に入ってきているのでハルビンの警察では取り締まりを命じられます。そうすると、伍連徳を助けてきたハルビンの商人会の会長の娘が実は…だったりすることが判明。革命党(この時期はまだ共産党はない)とか出てくるのも中国の近代ものドラマのお約束…。しかし1年もたたないうちに辛亥革命が起きて清朝は倒されるのですが、この時はまだ誰もそんなことはわかりません。

最後のほうになって、伍連徳は墓地に行って積みあがる遺体、棺桶を見て「これはまずい」と思います。冬のハルビンは零下30度。土も凍りつき、これだけの遺体があっては墓穴を掘ることもできません。ペスト菌は人が死んでもしばらくは生きているそうです。伍連徳はここが大きな感染源になっていることを悟り、墓地を焼くことを思いつきます。しかし中国人は遺体を損なうことは認めません。焼くなんてとんでもない。
さらに、ロシア人墓地でも遺体が置かれています。ロシア正教でも「遺体を焼くなんてとんでもない」という考え。
伍連徳は朝廷に電報を送り、墓地を焼く許可を求めます。そしてロシアの病院へも行き、病院長にロシアの墓地でも遺体を焼くことを頼みます。それまで伍連徳にいい感情を持っていなかった病院長も、医師としてその必要性を理解します。そして領事に対して、伍連徳に先駆けて遺体を焼いてペストを収束させれば、伍連徳と中国政府を出し抜いて、ロシアが主導権を握ることができる…と巧みな言葉で納得させます。

一方朝廷では実権を持つ摂政王が遺体を焼くなんてとんでもない!と、再三の伍連徳の電報も無視します。皇帝はこのころは5歳ぐらいなので何もできません。しかし伍連徳の提案に理解を示す王族が摂政王を一生懸命説得します。それでもなかなか許可を出しません。

いよいよ年越しの時期が近づき、お正月を家族で過ごしたい人たちが隔離に我慢できなくなってきます。(隔離とか、外出自粛とか、ずっとだと我慢できなくなってきますよね…)。
伍連徳は覚悟を決めて、朝廷の許可を待たずに遺体を燃やすことを決心します。
そして墓地で火をつける用意をしていると、ハルビンの人たちが押し寄せてきて、私たちの家族を燃やさないでー、と懇願します。
伍連徳の説得にも納得しない人たちを見て、「私も遺体と一緒にこの身を焼く覚悟だ!」と言って油の缶をかぶろうとして、周りが必死で止める…なかなか激しい展開です。
そこへ朝廷からの使いがやってくる!
遺体を焼く許可が出たのです!

やっぱりここがクライマックスになりますね。そのためにここまでいらん展開で引っ張っていたのか…。

そしてついに感染者も死亡者もゼロになる日がやってきた!

伍連徳と支援者たちが食卓を囲んでいるとき、伍連徳は年越しなのに爆竹の音が聞こえないことをいぶかります。こういう時節ではねえ…。しかし伍連徳は、硫黄は消毒になるのでどんどんやりなさいと言います。

そうして爆竹が響き渡る夜が明けたら、にぎやかな楽の音とともに獅子舞の行列が練り歩きます。
「伍先生、マスクはもういりませんね」
「ああ、もういらない」
人々がマスクを放り投げ、白い布が宙を舞う。

あ〜〜〜、早く「マスクはいらない」といえる日が来てほしいーと思ってしまう。

いやー、本当に今の時期に見るのにちょうどいいドラマでした。
こんなに実感を持って見られるとは。

さらにハルビンのペストのことがもっとわからないかと思って検索してみました。しかし日本のYAHOOで「ハルビン」「ペスト」で検索したら、出てくるのは731部隊のことばかり…。やっぱり中国のサイトを調べるべきだったか。
しかしその中でこの時期のペストのことを書いたものを見つけました。

https://blog.goo.ne.jp/kisyuhankukhainan/e/38a6644b4d6ac00216d254de8491d206

伍連徳の名前も書いてあって、このペストの時にマスクが使われるようになったという。しかも国際会議が開かれて各国が協力したということです。今のコロナの状況のほうが各国バラバラでそのころの対応に及ばない…。
マスク、隔離病院、防護服、移動制限などの始まりがこの1910年のペスト禍であり、伍連徳がそれを始めたことはもっと知られていいと思います。
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