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2020年04月13日00:04

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この街の壊れた玩具たち


レス・ザン・ゼロの臭いがする通りで乗り捨てられたキャデラックのバンパーを破壊する夜明け前、野良猫のように芯まで雨に濡れて…夢中になり過ぎて怪我をしたことにも気付かずにいたんだろう、ご自慢のストレッチ・デニムは左脚の腿のあたりが斜めに切れて、プロレスリングのコスチュームみたいにそこだけ色が変わっていた、縫わなくてもいいかもしれないけど消毒ぐらいはしておくべきかもしれないぜ…人類はウィルスに怯えている、まるでペストの頃みたいにさ、だけど若さはいつだって独善的だ、そうだろ?美徳だの美学だのそんな話じゃない、ただそうせずにはいられないってだけのことさ、学者がメディアで話し合うほどの話じゃない―俺は哀れなキャデラックの通りを隔てた崩れかけのアパートのロビーにいた、あのヤンチャな坊やからは見えない、明かりの消えたロビーにさ…そこに住んでいるわけじゃない、ただほんの少し、雨を避けるつもりで潜り込んだだけさ、そして、慎ましい破壊を見ながら、それはどこに向かうのが一番幸せなのかって考えていたんだ、あの、キャデラックがいま身に染みて感じているような、外に向かう破壊と、内なる破壊のどちらが―爽快感は外に向かう方があるのかもしれない、でも幾度か繰り返せばそれはきっと、ルーティンワークみたいな無機質な感情へと変わるだろう、俺のスコープはいつだって俺の内側へと向いていた、俺が突き刺したいものはいつだって、ナイフの刃先が決して届かない場所にあった、俺にとって、言葉のひとつひとつはそれぞれが小さな刃物だった、それを紡ぎ始めたとき俺は感じたんだ、これはいつか俺の心根を確実に貫くものになるかもしれないって…でもそうだ、幸せって気分にはそれはまるで近くはない、もしかしたら、破壊することではそこに近付くことは出来ないのかもしれない、のほほんとして、何も考えずに、すべてを受け入れ、真っ直ぐに堅実に―そんな人間じゃなければ、自分が幸せだと感じることは出来ないものなんだ、つまり幸せってのは、ドラッグを使って見る幻覚と同じようなものだ…どういうことかって?「騙されるのが得意なやつだけが知ることが出来る」ってことさ、それは同じことなんだよ、それは同じことさ、御機嫌を損ねられても困るな、それは俺自身の人生で得たひとつの幸福に対する結論なんだ…坊やはバンパーが転がると満足してどこかへ行ってしまった、あるいはそれ以上惨めな思いをしたくなかっただけかもしれない―どっちだっていい、俺の人生に関わりのあることじゃないもの、だけど、俺がもしやつの立場だったら、って、俺はどうしても考えてしまうのさ、そしてそれは、きっとすごく虚しいだけだろうって、たとえばそれがバンパーとフロントガラス、それから運転席のドアくらい思い切ったことであったとしてもね…生傷に使う消毒液の量が無駄に増えるだけのことだ、その痛みは一晩眠れば忘れてしまう、壊されたのが自分ではないからだ、内に向かえない人間にはそのことがわからない―手のひらを差し出して雨の程度を確かめる、スェードのジャケットを着ていなければそんなに迷うことも無かっただろう、俺にだってひとつやふたつ、大事にしたいものはあるのさ…けれどその夜はもう帰りたかった、でも雨はまだやみそうもなかった、そんなタイトルの歌がはるか昔にあった、なんてバンドが歌っていたのか思い出せなかった、そうだ―俺は名案を思い付いた、このアパートメントの部屋を何軒か訪ねれば、捨て置かれた傘のひとつふたつ見つかるかもしれない、俺は奥へと進み、部屋のドアをひとつひとつ開けて確かめてみた、二階の一番手前の部屋のドアが少し開いていて、バスルームだろう小さな部屋の前に投げ捨てられた傘が見えた、それはいましがた雨に濡れたばかりみたいに濡れていた、俺はそのことが妙に気になった、ここの住人ではない―この建物はもうそういう目的にはとても利用出来ない―バスルームで結構な物音がした、反射的にドアを開けて覗いてみると、みすぼらしい恰好をした若い女が首を吊ってバタバタともがいているところだった、足元に椅子が倒れていた、俺は椅子を立て直して、女の足元に持って行った、ただそれだけのことをする間に五回蹴られた、女は時間を巻き戻したように椅子の上にもう一度立った、もちろんもう蹴ることが出来ないようにがっちりと押さえつけておいた、女は少し躊躇ったあと首から縄を外してゆっくりと下りて来た、それから椅子を抑えている俺の横に座り込んで顔をまじまじと見た、「デッド・ガール」って映画に出てくる質の悪い元いじめっ子によく似ていた、「なんでここにいたの?」「雨宿りだ―そろそろ帰りたくなったんで傘を探して部屋をあちこち覗いていたんだ」ふう、と女はため息をついた、「もう少し気長に待ってくれてたほうがありがたかったわ」そうかな、と俺は異議を唱えた、「もう少し早く帰る気になってりゃあんたに五回も蹴られなくて済んだんだ」む、と女は短く唸った、「それについては素直に謝っておくわ」「じゃあ恨みっこなしだ」俺は立ち上がった、「まだ死ぬつもりかい?」女は首を横に振った、「もう一回やるなんて御免だわ」「じゃあ家まで送る」と俺は座ったままの女に手を差し伸べた、「それで、よかったらそのあと傘を貸してくれないか?」女は肩をすくめた「何と答えればいいのかしら」「ありのままに答えてくれれば」「ええとね…もう帰るところが無いの、追い出されちゃって…」じゃあ話は早い、と俺は言った、「俺の家に一緒に行こう、部屋は余ってる、少しの間なら貸してやるよ」女は喜びとも苦笑とも取れる笑みを浮かべた、「で、その代りに…?」今度は俺が首を横に振った、「そういうつもりはない」「早く家に帰りたいんだ、もう他に傘を貸してくれるやつも見つからないかもしれないし…」俺は頭を掻いた、女はまあまあ納得という感じで何度か頷いた……結果的に、俺は嘘をつくことになった、言い訳はしない、だって、明かりの下で見たときの彼女の汚さときたら…!どうしたってまずシャワーを貸すことになるじゃないか?


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