宗教とは一種の誤認識であると言える
認知上の錯誤だ
珍しい話ではない
人間は絶えず間違いを積み重ねる
ではなぜに
神も仏も実在せず
死後の世界の説明も錯誤の元に行われた創作であると明白になった今でも
世の人々は宗教を捨てないのか
もし 他の惑星の知的生物が存在するとして
その科学者が我々人類を観察したならば
我々の多くが非合理を信じる様子を見て
生物的な特徴であるとみなすだろう
そして その原因を探るだろう
おそらくは脳にその原因を求め
そして何かしらを見つけ出すだろう
我々にはおそらくわからないままだ
人間は人間の脳を生きたまま調べることはできないし
ましてや仮定の実験を繰り返すこともできない
彼らはずいぶん奇妙な現象を見るだろう
人類としての進化の歴史上
数十万年に遡る時間の 最後の5万年ほど前に萌芽し
そして二千年ほどの歴史を持つ宗教という奇妙な概念を
ほとんどすべての人類が持つに至り
そしてその概念が彼らの生態に強い影響を及ぼしている
宇宙を飛行し 原子力を制御して
はるか彼方の恒星の質量をある程度補足できるような科学技術を持ちながらも
神仏を信じるという奇妙な思考は
彼らに大きな驚きを与えるかもしれない
我々人類にとって宗教は
あらゆる理性にかかわらず
止むに止まれずそう感じて信じてしまうものなのだろう
これは多分 人類の脳の構造の問題であって
正しいとか間違っているとかいうものではない
そうできているというものだ
よく 宗教間の争いなどを見て
宗教の弊害というものが言われる
さも正しい宗教とそうではない宗教が存在するかのようだ
これは 明らかに間違った見方で
還元的に見れば 宗教は全て同じ脳から生まれ出されている
そしてその原理も同じだ
そこに何の違いもない
カルトもイスラムもキリスト教も仏教も同じだ
そこにある意味 人類の一つの限界点があると見るのは大きな間違いではないだろう
宗教はその時代に合わせて変化はするが 進化はしない
人類の脳は5万年前のままで
地球上に存在する人間の脳はすべからく同じである
そこに多少の個体差があったり
障害によって正常な働きをしない例はあるが
そこからどんな原理を生み出すかは全く差はないと言ってもいい
人間の脳には限界がある
どこまでもどこまでも真理を追究して行けるものではない
しかしまー
特定の創唱宗教を持たないおれにとっては
感覚的によく理解できないままなのかもしれないけれどもw
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