宗教とはと考えた場合
自分の共同体の宗教の事であったり
誰もが知っている大宗教を思い浮かべると思います
キリスト教であったり仏教であったり
あるいはイスラムや儒教などです
それぞれに創唱者がいて
彼らがその宗教の原型を作ったものとされています
では彼らがその宗教を あるいは宗派を考え出す前はと考えると
それぞれに 元となる宗教があります
その元となった宗教にもそれ以前の宗教が存在します
そうやって遡っていけば
人類はいつ頃から宗教という概念を持ち始めたのかという疑問にあたります
宗教は具体的な遺物を残さないことも十分に考えられますが
おそらくは人類が言語を話し始めてからかなり早い時期に生まれたのではないかと思っています
時期的に言えば最も古くても10万年前から5万年ほど前です
実際の宗教的儀礼の痕跡は新石器時代以降になりますが
その頃にはもうすでにある程度の宗教的概念が確立されていたのではないかと思っています
なぜ そう思うかですが
人類はほとんどの地域で古くから宗教的行為を行っています
ほとんど例外はありません
ある特定の場所で 特定の人間が宗教的概念を持つようになり
それが世界に伝播していったと見るには あまりに普遍的です
そうした考え方よりも
人類は生まれながらに宗教的概念を持つような脳の機能を持っていると考えた方妥当であろうと思われます
多分それは人類が言語を用いたり 社会制度を作り上げたり
美術品を作り 各種の道具を作り上げる機能と同じであると予想されます
よく私は 宗教を考える上で
各宗派の教義は何の意味も持たないと発言しています
それは言語が違ったり 方言が変化していったりするのと同じで
「自然科学としての宗教」を考える上で何の役にも立たないからです
いわば偶然そういう形をとってしまったということであって
そうあるべき理由は何一つありません
言ってみれば もう数万年前には
人類は宗教を概念として作り上げていたわけで
しかもそれを行うに必要な進化は
宗教を概念化する目的で備わったものでは全くないと言えると思います
何か他の 全く関係ないほんの少しの変化が
のちに環境変化の中で宗教を生み出していったのだと思います
したがって
キリスト教はただキリスト教なのであって
そこに理由はない
仏教にしても神道にしても同じです
徐々に洗練されていったという進化論的なものはそこには存在しません
ただそうなった と言えるだけです
本来 宗教学はその出発点から始めるべきものだと思うのですが
なかなか実際はそうもいきません
実際には
宗教を作り上げる機能は生物としての人類に備わった具体的な器官であって
鳥の羽であったり
犬の嗅覚を支える鼻であったりするのと同じで
すべての人類に普遍的に備わっているものですが
それを
人類が徐々に積み重ねて現在の形にまで築きあげた英知だと思う感覚が支配的である限り
なかなか自然科学としての宗教は主流とはならないと思います
だから宗教学とは
例えば英文学や日本文学のような学問になって
言語学やその他科学のような学問分野には入ってきません
まあ 誰かそのうちやるんでしょうけどw
ってチョムスキー先生なら言うんじゃないか?
でも言わないんだよな
言えば面白いのにw
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