mixiユーザー(id:1940449)

2018年03月21日18:35

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日本人って 6 縄文への誤解

我々が持っている縄文へのイメージは
実は結構現実とズレがあるのではないか
そういう思いを以前から持ち続けている

縄文時代は時期的には15000年ほど前から2000年ほど前までの
一万数千年の期間というきわめて長期にわたる時代区分を割り当てている
無文字時代の未開社会という認識のもとに
国家という外交手段も持たず
国内の徴税機関もない
緩やかな文化的共通性を持つ社会であるとされてきた
まー 言ってみれば
対外的な影響力を持たない存在
当時の国際関係に対して参加していない政治的空白として
一万数千年は一括的に区分されている

オーストラリアやポリネシアが近現代に至るまで
人が住んでいても歴史的に空白であったと同じだ

なにしろ 無文字社会だから
なんらかの宗教的観念を通した規範的強制力が流通していたとしても
実証はほとんど不可能だろうと思う
しかし 翡翠の勾玉などは日本の縄文時代に作り始められた宗教的遺物であり
きわめて広範囲に なんらかの意図を持って流通していた形跡がある
ただ単なる「綺麗な貴石」や「おめでたい縁起物」というには
その統一デザインや縄文中期から後期にわたる1000年ほどの長期にわたる需要
そして 後の弥生にから古墳期に入っての権威的呪物化
天皇の神器にまでになる経過からして
なんらかの原宗教的ネットワークがあったと考えていいのではないかという気がする

なにも超古代文明が云々というわけではないw
しかし ある程度の宗教的均質性をもたらすシャーマニズムと
様々な口承を共有するゆるい共同体が
祭具と贈与の交易を行っていたという可能性はあると思う
貢物 捧げ物としての交易だ
シャーマニズムの社会で 貢物は一種の徴税としての性格を持っている
まー 言ってみれば現代の神社に対するお賽銭と同じだw
後の「租庸調」のうち「調」の一部である「雑物」に類するものを
勾玉を持つシャーマンに献納するようなシステムは当然あったと想定される
これが縄文の交易ネットワークの原理的な部分だとすれば
「黒曜石は何と交換したのか?」なんて疑問も解消するような気がするが いかにw

まー おれはどうしても
縄文の長きにわたって精神文化が未熟なままだったというような話が信用できないでいる
脳の認知能力に関して現代人と全く変わらない
勾玉という象徴に様々な暗喩を見出すことも成立していれば
後の詩の原型となる歌さえあっただろう
文字が流入し
堰を切ったように詩を残した人々の文化的原型は
縄文中期には成り立ちつつあったとすれば
この時代を単なる未開な無文字社会と見るわけにはいかないだろう

逆に詩を失いつつある現代人は
文字を持った未開と言えるかもしれないw
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