mixiユーザー(id:1940449)

2018年03月18日23:24

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日本人って 2縄文の基本社会

まー よくわかりっこない
というのが目下の結論ではあるけれども
この問題をめぐる数々のトピックは面白いことこのうえないw

現状での大まかな「日本人の作り方」はいかがなものであるか?

まず 第一段階で古モンゴロイドが日本列島に現れた
3万年から4万年前で もちろんこれには諸説がある
バイカル湖周辺の人が南下し樺太 北海道を経由して日本中に広まった
という説が有力ではあるが それが沖縄にまで達したのかどうか微妙なところだ
1.5万年ほど前の時期を縄文の始まりとする
まー 学問上の便宜なので
なんかこー突然変異のように新たな人々が生まれてきたわけではなく
場所によってもこの時間は交錯する
これは 気候変動による対応であって
目まぐるしく変化する環境に対し
石器やその他の道具立てを変更し続けなければならなかったということだ
あくまでも人間の能力が飛躍的に伸びたとかそういうわけではないことには留意しなければならない
同じような気候変動が繰り返されたこの時期には
同様な変化が世界中で見られることになる
これは「進化」などというものとは無関係な反応だ

人類は移動することにより
様々な移動性の強い大型動物を狩ってきたが
日本列島の場合 大陸と切り離され
移動性の動物が消えた
したがって 人が移動しながら生活せねばならないという生活的な圧力は少なくなり
条件次第では移動生活をやめても差し支えない環境ではある

【縄文の定住】は生活技術というか文化的発展によってなされたということではなく
移動を強いた「狩猟動物の季節移動」という要因が消えたことに端を発する
クリやドングリ・トチの管理栽培が行われるのは
その後人口が増えてからで
集団で生きることを目的として生み出された技術ではない
狩猟採集民は最小の家族的なバンドで暮すのが最も適している
しかし にもかかわらず
ある程度の集落を作り
時には数百人規模の村を作って生活していたのか?
という素朴な疑問は出てくる

ここの疑問が ヒスイの玉や黒曜石の鏃や蛇紋岩の石斧の産地から遠く離れた場所への移動とかに対して
一つの仮説を生み出すことになる
「縄文の村は交易のためではないか?」
みたいな説だ
イメージ以上に縄文人の交易ネットワークは広い
モノの移動は そのモノ自体が指し示す記号性の流れでもある
かなり均質な日本列島の縄文文化も説明がつく
モノの移動は人的な移住より格段に早く
新しいデザインや考え方も広がるのは早い
どういったモノが交換対象になり
どういったモノがそれとなりえないかといった
「市場」という概念さえあったように思う
あるいは加工法などについては「企業秘密」といったようなものまであっただろう

まー 縄文人
今でこそイノシシ食ってドングリ食ってたのんきなやつとか思われがちだが
同時に海洋民で商人でもあったわけだ
この時代の狩猟採集民がその行動範囲を生かして交易を担うのは世界的に見られる光景だ
のちのアイヌが大陸の勢力と交易を行い
後に倭人とも関係を続けた商人の集団であったことも確認できる
世界が農耕社会になった後
辺境で生きる狩猟採集民は交易によって農耕社会の作り出すものを手に入れていた
しかし 縄文の時代
見渡す限りドングリ食ってるわけで なんかこー交易する動機にかける

なんでだ 縄文人w

続く


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