mixiユーザー(id:1940449)

2018年01月05日00:37

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浄土真宗考.15

急に時代が進んで申し訳ないw

「戦時教学」とは日本の浄土真宗が
かつての日本の軍国主義に対し
生き延びる道を模索した結果として出てきた教義だ
そう定義され
その立場から自己批判もなされてきた

おれはこの戦時教学というものを
「軍国主義に迎合した悪」だとは断じて思っていない
だからそれを批判する気もなければ
教団は弁解する必要もないと思っている

「拝啓天皇陛下様」の渥美清演ずる主人公山田正助は戦時下の妙好人である
まさに戦時教学の申し子だ
べつに山田正助が浄土真宗信者という設定ではないが
カタカナもろくに読み書きできない山田正助が
徴兵という制度に対し
現実肯定でそれを認める天才であるという点において
妙好人 才市と変わりない
そのキャラクター設定は
多くの日本人が愛する妙好人そのものだ

鬼をもひしぐ帝国君主たる天皇を想像していた山田正助は
演習の閲兵にあたり そっと天皇の顔を隠れ見る
想像と違い その優しげな顔に心を打たれ
戦争が終わってもなんとか軍隊にいさせてくれと手紙を出そうとする
それを仲間に止められ 結局は出さずじまいとなるが
戦後 彼は車にはねられて死ぬ
戦場で天皇への手紙を止めた仲間による
「拝啓天皇陛下様 陛下よあなたの最後のひとりの赤子がこの夜戦死をいたしました」
との回想で映画は終わる
もっと言えば
それを引き継いだのが車寅次郎だ

戦時教学とはその天皇と阿弥陀との関係性を整理したものだ
しかし その内容など限りなくどうでもいい
そんなものを誰も読みはしない
西行の
「なにごとのおはしますかは知らねども かたじけなさに涙こぼるる」
という感性がオートマティックに国民の中から湧き出して
戦時の国家体制を宗教内部に習合したのであって
戦時教学が民衆を導いたわけではない
「ミネルヴァの梟は迫り来る黄昏に飛び立つ」
哲学の正当性も宗教の権威づけも全ては後付けであり
その中で役に立ったものだけが後世に残っているにすぎない

宗教は環境が生み出し
環境がそれを選び取り
環境が盛衰を支配する
そこに 人間の選択肢はないと考えるべきだろう

続く
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