・石川数正は徳川信康、瀬名のあとを追うように自害しようとするが、本田忠勝に止められる。
・徳川家康は岡崎城に赴き、徳川信康をなくした岡崎城の家臣を励まし、高天神城攻めを呼びかける。そして家康は横須賀城に本陣を置き、武田領の高天神城攻めを開始する。
・奥山六左衛門は高天神城攻めのために井伊谷の材木500本を調達する。そして六左衛門は材木を作業する人の中に武田の間者を見つけ、徳川に差し出す。
・井伊万千代は武田の間者を殺さず、徳川の見方につけ、間者に高天神の井戸のありかを問う。
・おとわのものに井伊万千代は高天神城攻めで水の手を切った恩賞として1万石加増となり2万石となったという知らせが届く。そして万千代は奥山六左衛門、中野直之を家臣として召し抱えたいとのことであった。六左衛門は近藤康用が認めるなら、、万千代の家臣になっていいとの返事をする。しかし、直之は井伊谷の番人といて井伊谷に残るといい、万千代の家臣になることを断る。
・おとわと井伊万千代か対面。万千代は徳川家康に日本一の殿様になってもらうことを望んていることをおとわに話す。
・武田方の高天神城は徳川家康に降伏を申し出る。家康は降伏を受け入れようとしたとき、織田の使者は降伏は認めず、力攻めで高天神城を攻め落とすよう命じる。
・中野直之は最初は井伊谷の番人として井伊谷に残る考えであったが、おとわの説得により、井伊万千代の家臣となり、徳川家康につくことを決める。
・天正10年 1582年 武田勝頼は切腹し、武田家は滅亡する。そして、今回の戦の恩賞として、徳川家康は駿河一国を与えられた。
(感想)
・あっという間に時代は1582年になり。武田氏は滅亡。本能寺の変まであとわずか。本能寺の変は2回後ぐらいでしょうか。そして、おとわと南鶏和尚が話しているとき、安国寺恵瓊の話が出てきて、織田の世はそう長続きしない話が。
・井伊万千代は2万石に加増。奥山六左衛門、中野直之は万千代に仕え、徳川家康につくことに。近藤康用も万千代の家臣になるのもまもなくでしょうか。
・徳川家康は高天神城の武田軍を丸抱えして、赤備隊にして、井伊万千代の兵力にするのかなあと思ったけど、まさか、織田信長が降伏してきたものを力攻めに命じるとは。信長は家康が力をつけるのを恐れているようにおもえました。
次回 信長、浜松来たいってよ。
ゆかりの地 静岡県 掛川市 高天神城(搦手跡)
JR掛川駅 バス 土方下車 徒歩25分
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