なんかこー イメージ的なものではあるけど
呪術的な記録を拾い読みしていくと
そこに真宗の影がちらほらする
鎌倉仏教の中では 特にそう言った邪宗に対し厳しいイメージはあるが
なんかこー 見え隠れするものがある
確かに元は山岳信仰である白山信仰を飲み込んだ経緯もあり
また 「隠れ念仏」が教団の初期から存在したこともあって
日本古来の民間信仰を残しやすかった土壌はあるのだろう
そもそも「念仏」とは親鸞の思惑を外れ一種の「呪文」として受け入れられた部分もあったろう
しかしまあ はっきりしない
他宗の教義は庶民には理解困難であり
結局「南無妙法蓮華経」と「南無阿弥陀仏」が広く流布されたわけで
今でもおっかない目にあうと
ナンマンダブと唱える人もいるくらいだ
あれはどう見ても「呪文」だw
言葉が霊的なものに対して力を持つというのは
言霊信仰を生んだこの国の呪術の基本であって
念仏が呪文化していったというのは解りやすい
いろいろあたってみようかなw
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