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2017年08月19日14:05

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大河ドラマ おんな城主直虎 第32回「復活の火」

・いよいよ武田、徳川により今川攻めが始まる。そして、井伊は今川に取り潰され、徳川に寝返ることで、井伊を復活させる賭けにでる。

・井伊直虎は傑山に井伊の事情を伝える書状を徳川家康に渡すよう頼む。

・徳川家康は、武田信玄より、あと10日で今川への戦を始めるので、準備せよとの書状を受け取る。信玄は、地図上の駿府の今川館を赤筆で塗りつぶす。

・徳川家康は傑山より井伊直虎の書状を受け取る。その書状には井伊が取り潰され、井伊虎松が亡くなったのは見せかけであり、井伊は潰れておらず、これは小野政次と示し合わせた謀であることを知らせるものであった。家康は直虎の書状の件を快く了解する。

・武田信玄は徳川家康が調略に手間取っている知らせを聞く。一方、信玄は関口氏経を調略する。そして、井伊谷城にいた関口の家来たちは駿府に引き上げ始める。小野政次はおそらく氏経は武田に寝返ったと推測する。

・井伊直虎は傑山より、徳川家康よりの書状を受け取る。家康は直虎の言い分を快く受け入れるとのことで、家康は一度、直虎に会ってみたいとの返事であった。

・小野政次が忍びで龍潭寺にいる井伊直虎のもとにきて、碁を打ちあう。徳川家康が攻めて来た時の対応をひそかに打ち合わせする。直虎は政次に望むならばそのまま井伊谷城の城主の座に居座ってもいいというが、政次は井伊谷を治めるのは直虎しかいないと言い、城主の座は望まなかった。

・小野政次はなつにこたびのことが落ち着いたら、妻になってそばにいてほしいと頼む。なつは、政次が今でも井伊直虎のことを思っていることを気にしていた。しかし、政次は、直虎の少女時代の時のことであり、今は別の気持ちであると答える。そしてなつは、政次の願いを受け入れる。

・井伊直虎は井戸の前で、亡くなった井伊直親、直盛、直平らのために酒を注ぎ、こたび、徳川側につき、今川に振り回される日々が終わることを願ってほしいと祈る。そうすると直親の酒の杯だがなぜかたなびく。

・1568年12月 武田信玄がいよいよ駿河攻めを開始する。一方、今川氏真は北条よりの援軍がいつくるのか家来に問いただす。そして、氏直が武田勢の応戦のため賤幾山へ向かおうと陣ぶれを出そうとしたとき、軍議の場には誰もいなかった。関口氏経はじめとする大勢の諸将は武田に寝返ったのであった。

・徳川家康は薩摩峠を越え、井伊谷三人衆と対面。菅原忠久、鈴木重時は井伊谷の領土安堵で、徳川に味方することを快諾し、起請文をかわすが、近藤康用は躊躇する。

・井伊谷城の小野政次は家臣(関口の家臣含む)たちに、徳川が攻めて来た時に井伊谷城を開け渡すことを明言する。家臣たちは政次が徳川に城を開け渡すことを了解する。

・起請文をかわすことを躊躇した近藤康用は、小野政次は、井伊谷城を開け渡すふりをして、徳川家康の首を狙っているのではと家康に進言する。そしてまずは様子見に康用が井伊谷城の明け渡しに対応すると申し出、酒井忠次と同行する。

・近藤康用らが井伊谷城に迫り、酒井忠次が開門を命じ、小野政次が井伊谷城を開門しようとしたとき、徳川軍は井伊谷城への攻撃を開始する。小野政次は、井伊直虎から急いで門を閉めるよう進言を受け、井伊谷城を閉門した。

・一方、駿河の今川館も武田勢により焼けてしまうのであった。

(感想)
・今回は武田と徳川、今川の戦のシーンで大変迫力がありました。

・まさか、関口氏経が武田信玄に寝返る筋書とは。そして、氏経を始め大勢の諸将が武田側に寝返り、応戦することなく今川氏真は負けてしまうとは。もう少し、武田と関口との内応の場面詳しく描いてほしかったです。

・虎松が坊主になり、鳳来寺で修行に励むシーンかわいかった。

・井伊直虎が、井伊直親、直盛、直平らの前で、お酒を注ぐところで、直親に注いだお酒だけが、たなびいたのは、おそらく直親の願いを直虎が受け継ごうとしているので、それを見守っているということを直親が見守っているように見えました。

・近藤康用は小野政次に従来より反感を抱いていたので、政次の悪い噂を徳川家康に流し、政次を亡き者にしようとしたと思いました。

次回 嫌われた政次の一生


ゆかりの地  愛知県 新城市  野田城跡

         JR野田城 下車徒歩20分

         静岡県 浜松市 菅沼忠久の供養塔(龍潭寺)
      
         JR浜松駅下車 バス 井伊谷宮前下車

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