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2016年09月18日21:37

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大河ドラマ 真田丸 第37回「信之」

・関ヶ原の戦いは一日で決着がつき、徳川家康が勝利し、石田三成は敗北する。その知らせを知った真田昌幸は降伏はせず、上田近辺の徳川軍の陣に攻め入る。

・真田信繁はすでに石田三成は捕えられ、徳川家康は大坂城に入り、勝負は決したと真田昌幸に降伏するよう説得する。昌幸は事態を把握し、降伏することに対して、かなり悔しがる。

・大坂城に入った徳川家康は、徳川秀忠より、真田昌幸が降伏し、上田城を明け渡すという書状を渡す。そん中、秀忠は家康より、関ヶ原への火急な合流命令がなれば、上田城を攻め落としていたと負け惜しみを言う。

・本多正信は徳川家康に真田昌幸、信繁親子の処分をどうするか尋ねる。家康はまずは、石田三成の処分が先で、昌幸、信繁の処分は保留に。

・上田城の明け渡しで、徳川側の使いとして平野長泰が、真田信繁、小山田茂誠と対面する。そして、上田城の兵、武具は召し上げ、真田昌幸、信繁の処分は後日決まることに。

・真田信幸は真田昌幸、信繁の命乞いのために大坂城にいる徳川家康に会いにいくことを稲に伝える。そんなとき、大坂から本多忠勝が戻ってきて、信幸の昌幸、信繁の命を助けたい強い想いに負け、忠勝も二人の命乞いをするために大坂に一緒にいくことに。

・上田城を明け渡すことが決まった真田昌幸、信繁はお酒を飲みながら、織田信長が本能寺で討たれた後が最も楽しかったと昔のことを思い出す。

・大坂城にて徳川家康と本多忠勝、真田信幸が対面。家康は真田昌幸、信繁の死罪の処分を告げる。忠勝が信幸にかわり、真田昌幸、信繁の命乞いをするが、家康の昌幸、信繁を死罪にする考えは変わらなかった。そして、さらに忠勝は、もし昌幸、信繁の命を助けないのなら、忠勝、信幸ともに上田城に立てこもり、家康と一戦交える覚悟を示す。忠勝の覚悟に負け、家康は昌幸、信繁の死罪を撤回する。しかし、条件として、信幸は、昌幸と親子の縁を切り、信幸の「幸」の字を捨てるよう命じる。

・上田城にて、真田昌幸、信繁と真田信幸が面会。信幸は昌幸、信繁の死罪は許されたが、領土は召し上げ、その後は高野山 九度山に流罪になったことを伝える。そのことを聞いた昌幸は最初はかっとなり、怒るが、信繁になだめられ、落ち着く。

・上田城を去るにあたり、真田信繁は、小山田茂誠、松、堀田作兵衛、すえ(信繁と梅との娘)には、信幸に仕えるよう伝える。真田昌幸は、高梨内記には九度山に行くか、信幸のもとに行くかは内記の判断に任せる。

・真田昌幸は上田城で養生している出浦昌相に別れを告げる。昌相は餞別として、佐助を介して、大坂城にいる徳川家康を暗殺する策を教える。

・1600年 12月13日、雪の降る中、真田昌幸、信繁は、真田信幸を始めとする家臣に見守られながら上田城を去る。その後、上田領は真田信幸が治めることとなり、9万5千石の大名となる。そして、真田信幸は、徳川家康の命により真田信之と名を改める。

・真田昌幸、信繁は、九度山に行く途中、大坂城により、徳川家康と対面。家康は昌幸、信繁を死罪にしなかった本当の狙いは、死よりもっと苦しい生き地獄を味合わせるためだと教える。家康は得意げになって笑いながら昌幸、信繁と別れる。

・真田信繁は、片桐且元、寧、小早川秀秋と再会する。秀秋は、関ヶ原合戦後、西軍の宇喜多秀家らの怨霊の祟りに取りつかれる。

・淀は真田信繁が大坂城にいることは知っていたが、またいずれ会える気がするので、信繁とは会わなかった。

・真田信繁は正室 春と久しぶりに再会。信繁は、春より、関ヶ原合戦での父 大谷吉継の最後のシーンを聞く。

・真田信繁は、加藤清正を介して、石田三成の正室 うたと面会。うたは三成の最後を信繁に伝え、三成は豊臣家の事しか考えてなかったと何度も強く訴える。

・1601年 真田昌幸、信繁は九度山にたどり着く。そして九度山の村人衆が昌幸、信繁一行を珍しく物見いっていた。

(感想)
・第2次上田合戦では、徳川軍に勝利したにもかかわらず、関ヶ原合戦で石田三成が徳川家康に敗北したため、降伏し、上田城を徳川側に明け渡す真田昌幸の無念な気持ち、よく表れていました。

・上田城を明け渡す前の沈んだシーンでも、真田昌幸がお酒をのみ、おーいといい大井正吉が出てきて、笑いをとるシーンがあってよかったです。

・本多忠政が真田信幸に代わり、徳川家康に真田昌幸、信繁の命乞いをするシーン。かなり迫力ありました。もし、家康が昌幸、信繁の命を助けなかったら、本当に忠勝は上田城に立てこもって、
家康と一戦交えていたような心意気でした。

・出浦昌相は真田昌幸に徳川家康の暗殺する策を授けましたが、それは、昌幸が信繁に授けるのかな。

・小早川秀秋が亡霊に取りつかれるシーン。島流しにあったはずの宇喜多秀家が亡霊として登場。身間違えかなあ。あの場面で大谷吉継が出てくるかと想像していました。

・真田信幸 名を改め信之となり、上田城の城主として、家臣を束ねるシーン、かっこよかったです。

・徳川家康と真田昌幸、信繁と対面するシーン。昌幸、信繁を膝まづかせた得意げな大笑い、昌幸に二回も負けた悔しさが潜んでいるように思えました。

・きちんと、石田三成、大谷吉継の最後のシーンは描かれていてよかったです。数回前、三成が加藤清正に託した言葉は、やはり「豊臣家のことを一番よく思っているのは自分だ」と言いたかったのかなあ。


次回「昌幸」


ゆかりの地  和歌山県 九度山町 善名称院(真田案)

南海 高野線 九度山駅 下車 徒歩7分




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