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2016年08月28日21:20

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大河ドラマ 真田丸 第34回 「挙兵」

・石田三成は、徳川屋敷襲撃騒ぎで石田屋敷に蟄居中、真田信繁と面談。信繁は、昔、三成が春は苦労するぞといった訳を聞く。春は、昔、思い違いで三成に恋を抱いてしまう。三成は、春に思い違いだといい、春の思いを受け入れなかった。それに対して春はなかなか三成をあきらめきれなかったとのこでであったとのこと。

・1599年2月29日、前田利家は先日の石田三成の徳川屋敷襲撃未遂の件について、徳川家康に水に流してほしいと頼む。家康は水に流し、三成の謹慎を解く。

・加藤清正、福島正則らは、石田三成のことにがまんならず、三成を討ち取りたいと前田利家に相談する。利家は、三成と力を合わせて、豊臣の家を守っていくことを誓わせる。

・寧は真田信繁に豊臣秀頼の婚儀がまとまったら、出家する考えを示すとももに、お世話役のきりの役目をとき、きりは細川屋敷で玉の世話をすることに。

・石田三成は淀に、先日の徳川屋敷襲撃未遂事件は豊臣家を守るために起こそうとしたことであり、また、徳川家康を信じてはいけないと忠告するが、淀は聞く耳を持たなかった。

・同年、3月3日、前田利家がこの世を去り、加藤清正、福島正則、細川忠興らの大名が石田三成討伐に動き出す。三成討伐の知らせは忠興の妻女 玉からきり、真田信繁経由で三成の耳に届く。そして、信繁は三成を石田屋敷から逃げるように言う。また、信繁は真田信幸の助けを借り、石田屋敷に会った書物を急ぎ他の場所に非難させる。

・そして、加藤清正、福島正則らが石田屋敷を襲撃。その時、真田信幸と真田信繁は将棋倒しをしていた。清正は三成を渡すよう、信幸、信繁に警告するが、それを無視し、われらを襲うということは、真田と一戦交えることになり、これは国どおしの戦いになることを明言する。それでも戦うのなら受けて立つと信幸が言うと、清正らはあきらめて石田屋敷を去る。その後も信幸、信繁は将棋倒しを続ける。そして一人の武将が二人の将棋倒しの風景を眺める。その武将は後藤又兵衛であった。

・石田三成はその後、宇喜多秀家の屋敷に逃れる。そして、三成は大坂城に行き、加藤清正、福島正則らの襲撃を逃れる考えであった。

・真田信繁は、石田三成を大坂城にかくまってもらうよう、寧、淀に頼むが受け入れられなかった。
特に淀は、三成を助けて、豊臣秀頼のためになるのか疑問を抱く。そして、信繁は大谷吉継に三成のことを相談する。そして吉継は黒幕の徳川家康に頼むことを提案する。

・そして、真田信繁は徳川家康に加藤清正、福島正則らに鉾を治めさせるよう頼む。そして、家康は清正、正則らに石田三成から手を引くよう説得。彼らは三成から手を引くことに合意する。三成は難を逃れたが、こたびの騒ぎの責任が問われ、佐和山に蟄居が命じられる。

・石田三成は佐和山城に蟄居の命を受けたことに、必至になって豊臣家のために尽くしているのになぜ蟄居の命を受けなければならいことを涙を流しながら無念に思う。そして、佐和山城へ蟄居の前に三成は加藤清正と面会し、三成は清正に小声で何か話す。

・石田三成蟄居の後、徳川家康は伏見城移る。家康はその後、真田信繁を伏見城に呼びたし、信繁に家康に仕えるよう頼むが、信繁は家康に仕えることを断固として断る。

・それから1年後、1600年5月 徳川家康は大坂城に移る。そんななか上杉景勝に謀反の噂があり、家康は景勝に謀反の噂を弁明するために、上洛するよう書状を送る。それに対して、景勝は直江兼続に家康の行いを批判する直江状を送り、上洛を拒否する。直江状を読んだ家康は怒りまくり、上杉討伐を決める。

・真田昌幸は、上杉景勝から上杉に味方するよう書状をもらい、上杉討伐に参加すると見せかけて、徳川家康を上杉と真田で挟み撃ちにして、家康を討ち取る考え。それに対して、真田信繁は、昌幸の考えに同意する。そして以外にも真田信幸も昌幸の考えに同意したのだった。

・片桐且元は上杉討伐を決めた徳川家康に豊臣秀頼の名を使うことはやめてほしいと頼むが、家康は、こたびの戦は豊臣家と上杉家との戦いとしたいため、且元の願いを無視する。そして、家康は大坂城に出向き、淀に上杉討伐の陣中見舞いとして、軍資金 2万両、兵糧2万両をお願いするとともに、豊臣家の旗印を貸してほしいと頼み、淀は許可する。

(3DCGマップ解説: 大坂城 片桐且元 (顔写真) →進軍 徳川家康(顔写真) →会津城 上杉景勝(顔写真)

・徳川家康は上杉討伐のため、会津へ出陣。そのすきに大坂城では片桐且元が動き出し、家康の弾劾を図る。宇喜多秀家を呼びだし、そして、石田三成が大坂城に登場し、打倒 家康に動き出す。

(感想)
・今回は、石田三成が徳川家康の屋敷に逃げ込まず、石田三成のいない場所で、真田信繁が徳川家康に頼み、家康から加藤清正、福島正則らを説得し、鉾を治めさせるあらすじに。あくまでも
信繁を絡めるために、こういう筋書になったのかな。

・佐和山城に蟄居を命じられた石田三成の無念の気持ち伝わってきました。これで、三成と信繁は本当に今生の別れになるのでしょうか。

・また、佐和山城に蟄居する前に石田三成が加藤清正にささやいた言葉 気になります。おそらく、豊臣家のこと頼むと言ったのでしょうか?真田信繁は徳川家康に家臣になれと言われるが、断固として断るシーンよかったです。

・直江兼続の書いた直江状に徳川家康が怒りまくり、直江状を破いてしまうところ面白かったです。あと直江状を読んで笑う上杉景勝の姿も印象的でした。


・真田昌幸のくるみを握るシーン久々に見れてよかった。昌幸がくるみを握ることは生き生きとしている証拠ですね。昌幸は上杉に味方し、徳川を討つ考えを示し、真田信幸は返事を保留すると思いましたが、この時、昌幸の考えに従うと言ったのは以外でした。


次回 犬伏


ゆかりの地 愛知県 あま市  福島正則生誕地碑

名鉄 七宝駅 徒歩25分
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