もうずっと前に近代は終わっていて
我々はそれに気付かないのだという
なぜ気づかないかと言えば
気づきたくないからだという
近代とは一言で言えば希望だ
極端に言ってしまえば
一つの統一された価値観に世界がまとまる
そういう希望だ
宗教的でもあるし
論理でもある
で おれたちは
その論理からたぶん一生出られない
あの手この手で近代を擁護しようとする
しかも無意識に
無意識というより
代わりの価値が見当たらない
想像もつかない世界を知りようもない
近代が来る前と同じようにだ
自由民主主義も
それの支柱となる個人主義も
近代が終われば相対化される
全体主義もファシズムも
価値として相対化されて
等価な趣味として評価される
等価どころか
後世の高校生は歴史の授業を受けるも
理解できないだろう
我々が中世を理解できないように
理解できないばかりか
自分たちが理解したいように理解するだろう
では 次はどこからでるか?
なーんて事は考えるだけ無駄で
自然と発生する
哲学者からでも扇動者からでもない
経済と資源から化学変化のように生まれ出て
誰かが拾って文字にする
ロックやルソーのように
近代の終わりにモダンがでてポストモダンがでて
しかしそれらは次に来るものとは何の関係もない
いわば 死肉を食らうコンドルみたいなもんだ
若い人は次が見られるかもしれない
人生の終わりくらいに
おれたちはたぶん見られない
残念でもあり
それでいいような気もするw
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