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2016年06月05日22:16

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大河ドラマ 真田丸 第22回「裁定」

・豊臣秀吉の見守る中、北条氏名代 板部岡江雪斎、徳川氏名代 本多正信、真田氏名代 真田信繁が集まり、沼田城の裁定が始まる。江雪斎の言い分は、もともと沼田城は、上杉家内乱 御舘の乱にて、北条が、上杉から奪い取ったことから始まると主張。それに対して、信繁は、真田氏は武田氏に仕えており、沼田城はその時に北条氏から奪いとり、2年以上、沼田城を所有していたと主張。

・板部岡江雪斎と真田信繁の言い分に対して、豊臣秀吉は、もともと沼田城を誰が築城したのか?何故、沼田城が重要なのか質問を加える。そして、江雪斎は、もともとどちらが沼田城を先に有してたのが大事と主張。信繁は、築城したのは上杉氏であるので、上杉氏に沼田城を返さなければ、筋が通らないと主張した上で、織田からだれが沼田城を取ったのか大事と主張する。

・それに対して、板部岡江雪斎は真田は織田方の主君 滝川一益を裏切り、沼田城を騙し取ったとヤジを投げ、真田信繁は、そのヤジに乗り、堂々と滝川から沼田城をだまし取ったことを認める。そこで、一旦、裁定は休憩となる。

・その後、真田信繁は、真田昌幸に裁定の進捗状況を報告。昌幸は、信繁の努力を評価する。そして、昌幸は今後、徳川がどのような態度をとるのか興味を示す。

・休憩の間、板部岡江雪斎と真田信繁がばったり会い、江雪斎はこの裁定は戦のつもりで臨んでいると信繁に話し、また、この裁定により真の戦をせずすむことを望む。

・再び裁定は再開し、論点は、徳川が真田に沼田領を安堵を約束したことと、徳川が北条に沼田領を真田から譲り渡すことを約束したことに。そして、豊臣秀吉は、徳川が真田とかわした約定と、北条とかわした約定のどちらが有効か吟味することが大事といい、後は、豊臣秀次に裁定をまかす。

・そして、真田信繁は、徳川は、北条より先に、真田に沼田領を安堵すると約束しているので、徳川と真田でかわした、沼田領の安堵が有効と主張。それに対して、板部岡江雪斎は真田との約定が正しいとするならば、後で、徳川が北条と沼田領を譲ると言う約定を非とするならば、徳川は嘘つきと言っているということになると信繁を非難する。そこで、本多正信が、北条との沼田領に関する約定は、沼田領を渡すのではなく、沼田領がほしければ、沼田領を真田から奪いとってもいいという約定であることを主張。そして約定にもその旨が書いてあり、この裁定は、真田の勝ちのように見えた。

・真田昌幸が、真田信繁の裁定の報告を聞いて、喜んでいるところへ、石田三成が割り込んできて、なんとしても北条を上洛させ、北条との戦を避けるために、沼田領を北条に引き渡すことを
承諾してほしいと、三成は昌幸に頼む。そして、昌幸は、名胡桃城だけを真田のものとすること条件に、沼田城を北条に引き渡すことで妥協する。

(3DCGマップの解説:名胡桃城(沼田領1/3) 沼田城(沼田領 2/3) 北条領(北条氏康 顔写真)、徳川領(徳川家康 顔写真)、真田領(真田昌幸 顔写真))

・北条氏政は、豊臣秀吉の裁定である名胡桃城を含めた沼田領の1/3を真田に渡すのは不服であり、不服の気持ちを示すため、沼田城に兵2万を配置することを指示する。

・真田昌幸は、沼田城主の矢沢頼綱に沼田城を北条に譲り渡すことを頼むが、頼綱は沼田城を譲り渡すことに大反対であったが、結局、頼綱の反対意見は退けられ、沼田城は北条に譲り渡される。

・沼田城は北条に渡り、一件落着したように見えたが、北条が突如 名胡桃城を奪い取ってしまう。
(3DCGマップの解説:沼田城(兵士移動)→名胡桃城 )

・北条が名胡桃城を奪い取った知らせは、すぐに真田信幸のもとに届き、高梨内記は名胡桃城を奪い返すことを提案する。そして、突然、本多忠勝が現れ、名胡桃城を奪い返すことに力を貸すと進言。しかし、信幸は忠勝にこれは真田の問題であり、徳川の家臣が口を出すことではないと、忠勝の進言を強くはねのける。そして、名胡桃城の件は、京にいる真田昌幸の判断を仰ぐことに。

・名胡桃城の件を聞いた真田昌幸はすぐに真田信幸に名胡桃城を奪還するよう佐助に使者をつかわすよう命じようとするが、真田信繁は、まずは豊臣秀吉の許可をもらうよう昌幸に進言する。

・そして、真田昌幸、信繁は、豊臣秀吉に名胡桃城奪還の許可を求めるが、秀吉は、この1件は秀吉がなんとかするといい、昌幸の名胡桃城奪還を許可しなかった。

・名胡桃城の1件により、豊臣秀吉は、北条征伐の口実ができ、北条討伐を諸大名に命ずる。北条氏政は秀吉の戦線布告に対して、受けてたつ構えであった。


(感想)
・今回の板部岡江雪斎、真田信繁、本多正信との沼田城巡る論議、聞いていて面白かったです。結局は、正信が助け船を出し、真田有利に。豊臣秀次も論議を纏める才能があると見ました。論議に真田は勝ったが、結局は沼田領の2/3を北条に譲り渡すことになり残念。

・きりの差し入れ豊臣秀次には大きなおにぎりで、真田信氏には小さなおにぎり。だいぶ前の、真田信繁が梅には立派なくし、きりには平凡なくしを渡した、仕返しのように思えました。

・真田信幸が本多忠勝にきっぱりと名胡桃城の件は、真田の問題であり、きっぱり断るところ、信幸をみなおしました。

・佐助は行きに真田の郷から京まで4日で行くところ、早いと思ったけど、結局は実現しなかったけど、2日で京から真田の郷まで行けたのか疑問です。

・沼田城を明け渡すのがいやで、柱に縄をしばり、沼田城を決して離れない矢沢頼綱の沼田城を守る強い気持ち伝わってきました。

次回 攻略

ゆかりの地 群馬県 水上市 名胡桃城跡

JR 上原高原または、後閑 から徒歩8分
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