mixiユーザー(id:1940449)

2016年04月10日00:45

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葉隠

「葉隠」を実際読んでみると以外に精神論ではなく実際的というかスポーツ理論みたいな側面がある

「葉隠」で繰り返して主張されるのは「予習」だ
こういう事態になればこうすべし
こうであればこう
その場で考えるな
脳幹で反応せよ みたいなw
重要なのは最初から行動を決めている事で
その事から得られるスピードだ

逡巡すれば武士ではない
迷えば必ず自分の命に対し有利な選択をする
その 自分にとって有利な選択とは往々にして武士にあるまじき結果を生む
もし迷う事あれば
死ぬ格率の多い方を選べ
それで生き残れば幸運であるし
たとえ死んでも「生き残ろうとしてあがいて死んだ」という汚名は避けられる

まー 人間生きるか死ぬかとなれば気も動転し
一見生き残れそうに見える方向を安易に模索する
で ダメとわかってからではもう精根尽き果て
結果 見苦しい死に様を晒す
生死をかけると言う状況下では
生きる格率が多く見える方は生きる格率が高い方ではなく楽な方だ
人間 そういう方向を選ぶようにできている
山で遭難した人が谷を降りて雪崩に巻き込まれるようなもんだ
選ぶべきは切り立った危険きわまりない尾根筋にある
そういった判断は合理的思考からは生まれにくい
脳幹が判断するまでトレーニングするしかない
合理的思考とは 案外合理的ではないのだw

これが「死ぬ事と見つけたり」の意味だ
生き残る為に
家名を残す為に
報償を得る為に
有益な判断は「死ぬ事」にあるということで
その判断は瞬時に行われるように
最初からシュミレートしておかねばならない
その場で悩んだら 人間は絶対に合理的思考を得られない
みっともなく楽な道を選んで最後には死ぬ事になる

つーような思考で貫かれている
とはいわれてもなかなか死ぬような道は選びとれないのも人間だ
なかなかどこまで実行できるかなんてのは
現代の我々には想像もつかない

しかし人間の行動とか意思と言われるもの
その合理性についての実践的な研究の書であるという見方をすれば
近代哲学の日本的表現だと読み取れなくもない
ルサンチマン的な行動に引き込まれないようにする為の
一種の「超人」への道でもある

まー意図されて書かれているとも思えないけれどもw





結局のところ、日本の「武士道」とはなんなのか=中国メディア
http://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=97&from=diary&id=3938828
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