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2015年10月13日00:33

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「大同生命の源流”加島屋と広岡浅子”」展

大同生命の源流”加島屋と広岡浅子”展
http://www.daido-life.co.jp/110th/memorial/

に行ってきました。

広岡浅子は今やってるNHKの朝ドラ「あさが来た」のヒロインのモデルです。
肥後橋の所にある大同生命は、もともとヴォーリズの建てた建物でしたが、新しいビルに建て替えられました。そのころ、私は近代建築とか全然興味はなかったのですが、レトロなビルが壊されて新しいビルになってしまう…というニュースはなんとなく覚えていました。新しいビルが、1階部分がすぼまった変わった形なので「これが建て替えられたビルか」と意識はしていました、

そのビルの2階に、古いビルの一部を再現した「メモリアルホール」が作られていて、そこでこの展覧会があるというのです。

まず展示は加島屋の草創期から。戦国時代にさかのぼるそうです。加島屋は米の取引で豪商になりました。江戸時代は堂島米会所を取り仕切っていました。そのころ、米は「米切手」という手形で取引されるようになりました。これは記載されている量の米を引き渡すという証文です。実際の取引の場には実物の米ではなくこの米切手のやり取りで行われるようになりました。そして相場を見て米切手を売り買いする現象が起こり、さらに先物取引も行われるようになりました。当時の加島屋の取引がわかる資料や米会所の絵が展示されています。
こういった米の取引によって日本の経済の中心になったため、大阪は「天下の台所」と言われるようになったのです…知らんかった。

加島屋は米の取引だけでなく、大名を中心に貸付も行っていました。加島屋の帳簿を見ますと、資産・負債、収入・支出、といった決算の状況もわかるということです。そのうち貸付の利息が収入の多くを占めていました。
江戸時代の日本に、ちゃんと複式簿記があったわけです。

そのうち有名なのが新撰組に対する貸付です。土方歳三と近藤勇の署名のある借用書が残されており、ここに展示されていました。この翌年、鳥羽伏見の戦いで新選組は敗れて京都を去ったので、この貸付は回収できなかったとみられます。

さて、浅子は京都の豪商、三井家の娘です。幼少より加島屋の信五郎との婚約が定められ、豪商のお嬢様にふさわしい教養として箏、三味線、お茶、お花、裁縫などを身につけるよう育てられました。しかし本人はそう言った習い事はみんなきらいで、丁稚と相撲を取ったり木登りをしたりなどしていたそうです。朝ドラのヒロインは木登りをするお転婆娘がしばしば登場しますが、浅子は本当に木登りをしていたらしいです。
しかも弟が学んでいた学問に興味を持ち、本を読もうとするのですが「女に学問は不要」と、本を読むことを禁じられてしまいました。

しかし加島屋に嫁ぐと、夫の信五郎の理解もあって帳簿やそろばんの勉強を始めます。そして、明治の代になって、大名へ貸付けた金や利子の回収ができなくなり、加島屋は危機を迎えました。そこで活躍したのが浅子です。浅子は貸付の回収をはじめ加島屋の事業に参画し危難を乗り越えていきます。
新時代の事業、炭鉱業も手がけました。

特に難事業だった炭鉱業が成功し、自分に自信を持つことができるようになったころ、女子教育をめざす教育者・成瀬仁蔵と出会います。浅子はこれからも女も学問ができるように女子大学校の設立を目指します。そうしてできたのが、日本で最初の女子の高等教育機関である日本女子大学校です。
浅子は夏に合宿で夏季勉強会を開くようになります。この中から出たのが婦人参政権の先駆者市川房枝、「赤毛のアン」の翻訳で有名な村岡花子です。

成瀬仁蔵に女子教育に関する手紙が展示してありましたが、このころの手紙でも読めませんねえ。一応活字に直して横に書き直してあるのですが、それでも漢語を多用していてわかりにくい。

また、系図も展示していました。信五郎は次男で分家に行っていました。しかし広岡家の長男が若くして亡くなり、家は弟が継ぎます。この弟が大同生命初代社長になります。
浅子と信五郎の間には娘が一人いました。娘の婿養子として一柳子爵家の次男・恵三が迎えられます。恵三は大同生命2代目社長になりました。恵三の妹・満喜子は広岡家でヴォーリズと出会い、やがて結婚します。

その後保険事業参入の働きかけがあり、働く人たちの生活の安心のために保険会社を創設することになりました。そうしていくつかの保険会社を合わせて大同生命ができたのです。その時の契約書が展示されていましたが…レンガブロックかと思いました。それぐらいぶあつくてごっつい製本された契約書だったのです。
あとは大同生命の社史コーナーになります。

そして広岡浅子の生涯を紹介したビデオ約12分が上映されていました。
メモリアルホールのある2階はガラス張りで外が見えます。そこで壊されたヴォーリズの建物の一部が外の装飾につかわれていることが示されていました。さらに、正面入り口てっぺんの装飾がビルのそばに設置してあるそうです。なので、外に出てから行ってみました。確かに、ゴシック式のすてきな装飾です。

無料の展示ですが、パンフレットもくれました。
その中で、産経新聞の連載をまとめたという冊子がかなり詳しくて興味深かったです。
浅子の出生の事情がかなりややこしくて、ドラマが名前を一部変えた「フィクション」にしたのも無理はないと思いました。実家の三井財閥の事情も書いてありました。
また、浅子は成瀬仁蔵を通じて大阪教会の牧師と出会って、63歳で受洗しました。YWCAの活動もしてたということです。

でも、日本ではキリスト教関係の話には冷たくて、このあたりのことは展示では全く触れられていません。晩年のことでもあり、ドラマではどの程度取り上げられるのやら。メディアでは「仏の慈悲」をいくら説いても大丈夫なのに、「神の愛」を説いたら「特定の宗教の宣伝をしている」なんて批判されるんですよ…。
また、夏季合宿のメンバーには矯風会の会員もいたそうですが。矯風会は正式名称が「日本キリスト教婦人矯風会」といいまして、明治時代に女性の福祉と地位向上を目指して設立され、一夫一婦制度の確立や公娼の廃止を目標にして活動しました。村岡花子も会員でした。現在では女性の人権や福祉活動を行い、DVの被害に遭っている女性のシェルターを運営しています。
成瀬仁蔵も、ネットで調べたら牧師だったことがわかりました。
…こういうことはだいたいスルーされるんですよね。

大阪教会は江戸堀にあります。ヴォーリズの設計した大きな教会で、阪神大震災の時に大きな被害を受けましたが、信者の献金によって修復されました。今も多くの信者がいます。私は赤煉瓦の外観しか見たことがありませんが…。
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