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2015年09月15日06:14

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私見『横着者に対する哀れ』

神戸連続殺傷事件「元少年A」名乗るサイト開設 自己紹介やイラストなど掲載
http://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=32&from=diary&id=3608649

彼に才能があるかはわからない。

だがもし仮に才能があるとするならば哀れなことだと思う。

今後彼の著作が売れたとしてもそれは狂人の殺人者が書いた本だということで売れるに過ぎないからだ。

14歳の時に行ってしまった狂気故の『自己顕示欲のパフォーマンス』

それによって注目されてしまうこと自体が彼自身をすっぽりと覆ってしまい、小説家としての才能に対する評価を(彼がどう求めているかは別として)正しく見られなくしてしまうだろう。

パフォーマンスすること自体は全く問題無い。

なんなら外見の美醜、行動も気づかれるきっかけとなるならば戦略として正しい。

ただそれはあくまできっかけであり、作品を読ませる最初のとっかかりに過ぎない。

いずれ自分自身で払拭すればいいだけなのだから。

だが彼の場合はその『パフォーマンス』があまりにも大きすぎて悪質すぎたからこそ、それを引き剥がすことが事実上不可能になっている。

そこの部分に対しては(もし才能があったならば)哀れにとも思えるが、同時にそれが無ければ彼は本を出すことも注目されることもなかったのだから自業自得ではある。

逆に面白い小説を書いて注目されてから正体をばらしてれば、その『パフォーマンス』は最大限の効果を発しただろう。

しかしながら彼はそれを横着してやらなかった。

人並み外れた狂気を抑えて地道に書くということをせず、手っ取り早く有名になりたいと言う自己顕示欲(あるいは金銭目的)だけでそれをしたからこそ彼自身が求めて止まない正当な評価を自ら手放した。

彼は自ら(才能に対する評価を)存在の耐えられない透明にしてしまうことを選択してしまったのだ。

ここまで書いたが単純に金が欲しかっただけならこの日記の内容自体が些かナイーブでお人好しで的外れともいえるけれど。

最後に彼自身の著作を販売禁止にするあるいは出版自体を反対することには賛成しない。

そんなことをしても意味がない。

それは結局のところ彼自身の『希少な商品価値』を高めるに過ぎないからだ。

むしろ『元少年A』という『商売的価値』が賞味期限が過ぎた後に彼が自身の才能で市場経済の中で生き残れるかを試してみればいい。

もし才能が大してなく、埋もれていくのならばそれこそが彼にとって最悪の罰則になるのだから。

それに無理矢理、出版を止めるのならば彼は暴走しそうな気がする。

常人には理解出来ないからこそ狂人は狂人と言われるのだから。

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