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2015年05月29日18:04

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火の罪

『千年樹』という詩とエッセイ誌の冒頭に吉田義昭さんが「火の罪」という詩を書いていた。浜で二人で個人的に焚書をしている図を描いた4ページにわたる印象的な散文詩だが、最初に燃やしたのはアリストテレスの本だった。

「彼の書物ではなく、彼が憎んでいたアリストテレスの書物から燃やしたのです。」「火は鮮やかに燃えています。なぜ未だに私たちは、二千年近くも昔の教えを受け継がなくてはならないのでしょう。」

この哲学者の誕生から数えて約2400年経っているので、この作品の舞台は現代ではなく数百年前ということになるだろう。「我が師ガリレオ」という言葉も出てくる。中世キリスト教会の異端審問・「背教者」弾圧にアリストテレスが哲学的論理として活用された時期があったことは知っている。しかし実際に読んでみれば、プラトンならいざ知らず、アリストテレスがどうすればそうなるのか理解に苦しむ。原典よりも権力を握った坊主どもの解釈書のほうが幅をきかせている時代だったのだろう。ひとこと「神」とでも書けばそれが活用されてしまうのだ。そもそもアリストテレスが古代ギリシャに生きたのはイエスが生まれる300年以上前だ。どうやってキリスト教の味方ができるのだろうか。ダンテ『神曲』によれば、それ以前に生まれた人間はどんなによい人でも地獄か煉獄に行くしかないのだ。

詩集にでもまとまれば、背景や意図も分かりやすいのだろうが、単発で読んだので、現代が舞台かと最初びっくりした。吉田義昭といえば、私たちが若い頃『グッドバイ』という同人誌を出したちょうど同じ頃同人誌『夜行列車』を出したと記憶している。

ただ、アリストテレスがささやかに焚書されたについてはひとつだけ思い当たる節がある。それはこういうことだ。今読んでいるハイデッガーによるアリストレス『形而上学』分析は、極めて厳密に解釈されている。約200ページほど進んできたが、それが対象としているアリストテレスの文章(9巻第一二章)は文庫本にして計5ページにすぎない。つまり、単純に書かれているようでいて、その内容を真に理解しようとすると僅か5ページに200ページを要するような読解が必要になる文章ということだろう。似て非なるもの、と言いたいが、中世の宗教学者(スコラか?)は権威を楯に、わけのわからない解釈を重ね、信じられないような凶器に仕上げたのだろう。

それは始原が持つ宿命とも呼ぶべきものかもしれない。後世の人間がその輝きに引き寄せられては幾度でも解釈し、これこそが真理だと自分の味方につけたくなるようなものがアリストテレスの『形而上学』にはあるのだろう。もちろん、ハイデッガーも言うように、アリストテレス本人は「後世の人が『形而上学』という語と概念によって理解したものなどまったく所有してはいなかった」し「そのようなものを探究したことは決してなかった」のだが。
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