原書で読む『De Anima(魂について)』(アリストテレス)は大学ノートの3冊目が終り4冊目に入った。今回は一冊終わるのに5ヶ月かかったが、これは夏休みはじめ気合が入らない時期が多かったためだろう。4冊目を始めたところで本文的には第二巻第二章(魂
今年拾ってきたドングリ類。左からクヌギ、マテバシイ、スダジイ(殻斗で見えにくいので中身も置いてみた)、アカガシ、シラカシ、コナラ。マテバシイは渋みがなく生でも食べられるというので、プライヤでつぶして食べてみた。パサパサなナッツふうで、さほど
強行採決の場面は、取り巻く反対派議員にもみくちゃにされながら、議長が叫ぶというのが定着しているが、毎回不快である。この頃はマスコミもこれについて何も言わなくなったのは「不偏不党」を示すためなのだろうか。しかし議会政治というのは、武器はだめだ
先日、「シラカシ」プレートの木の下で拾ったどんぐりを掲載し、しかし殻斗の特徴が違うので、他の木から落ちたものかもしれないとの疑念も付した。本日そのコースに行ったので注意深く見たら、やはり別の木(コナラ)のものだった。本日掲載するのが正しい「
またリルケ関連だが、彼はドイツでは今なお『旗手クリストフ・リルケの愛と死の歌』の作者として一番有名だという。信じられないが、と読み返してみた。18歳の少年が戦争に行き、たまたま旗手という名誉ある役をおおせつかるが、間もなく戦闘で死んでしまうと
手塚富雄訳のリルケ『ドゥイノの悲歌』第一の悲歌で、もしも急に天使に抱きしめられるようなことがあれば、焼かれて滅びるだろう、という箇所の続きは次のように訳されている。「なぜなら美は/怖るべきものの始めにほかならぬのだから。われわれがかろうじて
どんぐり話は飽きられていると思うので手短に。写真は公園内で樹木プレート付きの「シラカシ」のどんぐり。のはず。この樹の幹はきめ細かく白っぽいので美しい。その下に落ちていたのを拾ってきたので、間違いないと思うのだが、殻斗(帽子というか、はかまみ
今日は双眼鏡を持って、件のドングリ坂に行った。かなりの高倍率で首が痛くなるまで見たが確認は出来なかった。木に生っているドングリを確認するのはほんとうに難しい。そこは諦め、毎日のウォーキングコースからはずれた団地内「緑園ゾーン」に行って見た(
先日、「アラカシ」ではないかと当たりを付けたドングリが、本日は木の葉っぱと一緒に落ちていたので持ち帰る。データ充実により真実が揺らいだ。エンブレム問題もあることだし、ドングリ同定委員会としてもここは白紙撤回したほうがよいだろう。「アカガシ」
少し前に届いた神品芳夫さんの『リルケ 現代の吟遊詩人』はじっくり読もうと思って我慢していたが、今日から読み始めた。冒頭の「折々のリルケ----日本での受容史と今」は茅野蕭々に始まるリルケ翻訳や詩論、影響を受けた詩人などが網羅されているが、さすが
9月になりましたので「今月の詩」を更新。珍しく2編としました。活字になった作品がきれたので、新作をと思ったら、詩になりかけのメモがたくさん出てきてしまい、墓に持って行く詩の比率が高い私としては、たまには2編でもいいか、という気持ちになりまし