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2015年04月18日23:59

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大谷探検隊の軌跡をたどる旅順の旅(10)

旅順博物館を出発して、今度は大谷光瑞の別邸だった所へ行きます。大谷光瑞は1915年に旅順に来て、別邸を建てました。それが今でも残っているということです。ちゃんと保存されているわけではないらしいですが、とりあえず建物は残っているので外観だけでも見に行きましょう、ということで。

バスが進んでいきますと、途中車窓から粛親王府が見えると案内されました。
もともとはロシア人が建てたホテルで、一時期清朝の王族、粛親王が住んでいました。粛親王はもともと北京に住んでいましたが、清朝滅亡後、旅順へ移っていたのです。粛親王は川島芳子の実父です。

川島芳子は幼くして日本人の養女となって日本で育ち、のちに「男装の麗人」として有名になり、「スパイ活動」をしたと言われています。本人は清朝最後の皇帝、愛新覚羅溥儀を助けて清朝の再興を目指していたのですが、溥儀が日本人の作った「満洲帝国」の皇帝に祭り上げられたため、溥儀と共に日本軍に利用されるようになりました。そのため終戦後は捕えられて「漢奸」すなわち中国を裏切った売国奴として処刑されました。

川島芳子は日本に渡るまでここに住んでいたそうです。

バスは坂道の途中で停まりました。ここから徒歩です。上り坂をずっと登って行きます。そうしたら、なにやらよく目立つ洋館が。ここが大谷光瑞の…?それにしてはやけにピカピカにきれい。
すると、上山先生もビックリしていました。前に来たときはもっと荒れていたそうです。
一体誰がこんなにきれいに…。

この別邸は、高台の見晴らしのいい所に建てられたということで、本当に旅順の街を見下ろすことができる、ながめのいい場所です。
入口に通じる柵まで近寄って見てみました。そうしたら、玄関の扉の両側に赤い対聯が見えました。
対聯とは、中国で対になるおめでたい言葉を赤い短冊に書いて、入口の両側に貼るものです。新年に新しいものに取り替えます。ちょうど新年の時期に来たので、周辺の家でも入口に真新しい対聯が貼ってあるのが見えました。

ということは、誰かがこの家を手に入れて、きれいに修復して住んでいるのでしょうか…?

外観をうろうろしながら見学した後、バスに戻りました。
そうして大連の街まで戻ってきました。
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