この前、駅前のビルを車で通ったら、上映作品が掲げられていた看板が、「新台入れ替え」とパチンコ屋のお知らせに代わっていたので、もしやと思って、HPを見てみたら、「閉館」のお知らせが、有りました。(参照 画像左 )
昔から、我が街で、ほとんどの映画を掛けていた、地元興行会社が、いよいよ、「撤退」となった。
去年のベストワンの「フランシス ハ」とか、超マイナーな映画を、ごくタマに見せてもらってたけど、東京に本社を持つ興行会社が乗り込んで来て、今の春休み時分だと、「ドラえもん」とか稼げる映画が掛けられなくなって、ビルの劇場数を「絞って」細々と、マイナー作品しか掛らなくなった。
施設が古くて、全盛期でも冬場行って、底冷えがしてたり、街宣車の音は入って来るし、映写機は途中で止まっても、係は居なかったりとか。横暴な「商売」をしていたから、いつか、立ち行かなくなると、常々思っていたのと、かって「単館系ブーム」が在って、何を血迷ったか、「ピアノレッスン」やら「月はどっちに出ている」を上映し始めたのが、事を起こす引き金でした。
それまで、ただ映画を見てノンベンダラリとして居たのですけど、なんつうか、「存在証明」でもないけど、私財をつぎ込む、いわゆる「持ち出し」で、自主上映していた人達にちょっと、触れる機会があって、マネ的に劇場に働きかけと、「映画の灯」を守れ的なことしようって、この潰れた映画館が、後見人として認知してもらった、サークルを始めました。
「会報」を作って、会員、お客に、ばら撒くって宣伝活動と引き換えに、特別に「割引」をしてもらったりとか。本棚から引っ張って来ると、一号の発行が1994年7月だって。
もちろん、紙面作りが得意な広告業界の人やら、他にも、公募で集まって、私がすべて、背負ってた訳じゃないけどね。
mixiの日記の感想コメントが、長くなってしまうのは、この「会報」に寄稿していた当時、サークルのメンバー間で、指摘されてた事ですが。でも、その頃に比べて、まだ解り易くなっていると自負してます。
「閉館」した劇場の一つに、「沼津名画座」があって、全シート80席のチッサな劇場で、そこはもう、かなり前に「絞られて」使われなくなったけど、一時は単館系が、2本立て一週間替わりで掛かって、全部見切れなかったな。
応援隊として、そのちっさな小屋の掲示板に、壁新聞作って貼ったり、券売機の傍の立て看板に収める、上映案内カードを作ったりと、なんか、いい歳した社会人のクラブ活動って感じ。
毎週が、「映画」のお祭り状態だった。(参照 画像中、右)
でも、費やした時間も、思えば「大きかった」けど。やり繰りが、下手だったな、自分は。
確か、今度の菊地凛子さんの新作が、モチーフらしているらしい、コーエン兄弟の「ファーゴ」って犯罪映画が、ありました。その広告をキネ旬で見かけた時、その他の全国の上映館として「沼津名画座」って、出てた時は、訳も分からず、得意な気分だった。
そんなこんなで、いろんな出会いと、別れを産んだ、映画館がとうとう「閉館」となったか。
また、何のイベントやお知らせもしないところが、傲慢なあの興行会社らしいわい。
直接の書き殴りです。なので乱文、申し訳ありません。
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