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2012年12月31日01:23

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スペイン旅行記(18)グラナダ(4)

ライオンの中庭を見終わり、「二姉妹の間」の横の通路を通って先へ進みます。片側の壁に窓が開いていて、浴場の屋根が見えます。蒸気抜きと採光のため、開閉できる丸い穴がいくつか開いています。

そうすると、小さな部屋に入りました。装飾の少ないシンプルな部屋です。ここは「アルハンブラ物語」を書いたアーヴィングが滞在していた部屋なのです。
「アルハンブラ物語」についてはこちら
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1870639327&owner_id=1362523

アーヴィングは、グラナダ総督のアルハンブラ宮殿の部屋を提供されて住み始め、アルハンブラ宮殿を毎日のように散策します。しかしある時鍵のかかった未知の部屋があるのを発見します。管理人さんに鍵を開けてもらって、中を見ていくうち、この部屋に住みたいと思うようになりました。…といういきさつが「アルハンブラ物語」に書かれているのですが、帰ってからこのくだりを読みなおしてみますと、ああ、あそこか、と実感を持って読むことができました。

ガイドさんがアーヴィングとアルハンブラ物語について解説したところで、「来る前に読んできましたー」と自己主張しました。
この部屋から渡り廊下が延びています。グラナダの街を一望することができます。
前の日記からグラナダの街を見下ろすとかいう表現を使っていますが、アルハンブラ宮殿はグラナダの端の方の高台にあるのです。中世の城が城塞の役目をしていたように丘の上に建てられているのです。それで、ここからはグラナダの街を「見下ろす」ことになるのです。
ここから見えるのは「アルバイシン地区」といって、グラナダでも古い部分です。アンダルシアらしい白い壁の家が密集しています。とてもいい眺めです。(写真)

ここから降りていくと、リンダラハの中庭に出ます。そこを通り抜けて外へ出ました。広い庭園が広がっています。パルタルの庭です。手前の方に池があって、そのほとりに塔のある四角い建物が建っています。ここが「定年」を迎えた後宮の女性たちが入る宮殿だったとか…。(写真)

ここからずっと向こうに高台になっているところがあって建物が見えます。ガイドさんがそこを指さして、あれがヘネラリーフェです、あそこまで歩きます、と言いました。ちょっと遠そうです。私は歩くのは平気ですけれど。
散歩道になっている庭園を歩いて行きます。左手の方にグラナダの街の景色を見下ろし、右側は高くなっています。この上にはキリスト教時代に建てられた修道院があって、今はパラドールになっているということです。アルハンブラにあるパラドールなんて、すばらしい…と思ったら、ガイドさんが言うには周りに何もなくて不便だとか。

帰国してからホテルサイトで調べてみますと、部屋数が少ないせいもあって予約を取るのが大変なホテルのようです。しかし口コミ評価では、一部最悪の評価がありました。従業員の態度が悪いとか部屋が居心地悪いとか、街へ出るのに不便すぎるとか…従業員はともかく、こういう人は街中のラグジュアリーな最新式ホテルに泊まった方がいいようです。評価の高い人はだいたいアルハンブラ宮殿のそばのパラドールに泊まれて素敵、という面で評価していました。
私も泊まってみたいです。

ここの修道院にはイサベラ女王が埋葬されていました。
カスティリアの女王イサベラは、アラゴン王フェルナンドと結婚して両国は統一されます。さらにイサベラ女王はグラナダ王国を陥落させてレコンキスタを終了させて、現在のスペインを成立させます。
イサベラ女王の宮殿は「馬上にあった」と言われ、特に首都を設けずスペイン中を移動しながら統治していました。その女王が永遠の眠りの場所に定めたのがグラナダです。遺言により豪華な飾りは無しで質素な墓石のみの墓に葬られました。この修道院にその墓石が残っています。
しかし、その孫の時代にイサベラ女王の遺体はグラナダの王室礼拝堂に移されてしまいました。王室礼拝堂はイサベラの時代から着工され、孫の時代に完成しました。そして孫はイサベラ女王の遺言に反してそこに豪華絢爛な墓室を作って改葬してしまったのです。
その孫と言うのが…またもやカール5世。まったくロクなことをやらない王様です。

…で、ヘネラリーフェに向かっているわけですが、グラナダだけで日記を書くのにどれだけかかるんでしょう…。
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