前回、ケミカル・ブラザーズの“
セッティング・サン”を紹介したので、そのついでに誰もが知ってるこの有名曲を紹介したいと思います。
ビートルズのなかでもとくに「革新性」について語られることの多い楽曲ですが、どこが革新的に優れているかについてはもはや説明不要なような気がします。それに、この流れだと「いかにビートルズが凄いか」みたいな話にしかならないので、今回はちょっと視点を変えて僕と“トゥモロー・ネバー・ノウズ”の出会いについて話したい。
僕がビートルズをアルバム単位ではじめてしっかり聴いたのは、単純にCDジャケットがかっこよかったという理由で『リボルバー』から。結論から言うと、大変お気に入りのアルバムになってしまったわけだけど、はじめの印象は決して良いものではなく、曲によって好感度もまちまちだった。
僕はまず、“シー・セッド・シー・セッド”や“アンド・ユア・バード・キャン・シング”といった従来のビートルズの路線をそのまま継承した、比較的わかりやすいロックンロールに夢中になった。しかし“ラヴ・ユー・トゥ”とか“グッド・デイ・サンシャイン”等ところどころ不可解な曲もあり、そういうのはもっぱら飛ばして聴いていた。
とりわけ“トゥモロー・ネバー・ノウズ”に関しては、まったく意味が分からなかった。Cコードを延々と繰り返すお経のようなこれは音楽と呼べるような代物ではなく、ただの編集遊びじゃないかとさえ思った。
それから何年か経ち、ふと『リボルバー』を手に取って聴いてみたところ、すべてにぶっとばされた。そこには驚くべきことに、以前とはまったく異なる風景が広がっていた。その風景はかつて見た風景より幾分か鮮明で、幾分かカラフルで、幾分か生々しいものに変容していた。瞬時にすべてを理解し、瞬時にすべてを好きになれた。
そう、久しぶりに再会した“トゥモロー・ネバー・ノウズ”は、いつのまにか近所のあんちゃん的なごく身近な存在になっていたのだ。反復されるメロディは呪術的で美しく、トライバルなビートは癖になるカッコ良さだし、ループ/SEの作り方もなにやら現代的で気持ち良い。
気がつけば僕は“トゥモロー・ネバー・ノウズ”ばかり繰り返し聴いていた。そしてレコードを聴き終えたとき、自分自身の骨と内臓とがグニャグニャと音を立てて融解していく音を聞いていた。それらはまもなく粘土のように混ざり合い、新しい身体の組成を作っていった。
たしかにあのとき、大袈裟ではなく「僕」はまったく違う「僕」になったのだ。音楽を理解する瞬間というのはこういうことを指すのだと、僕は“トゥモロー・ネバー・ノウズ”に教わった。
というわけで、僕に音楽(人生)の本当の楽しさを教えてくれたビートルズには、いくら感謝してもし足りないくらいなのです。
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