スティーヴィー・ワンダーの音楽を聴いていると、思わず神に祈りを捧げたくなるような崇高な気持ちになるときがある。
宗教的とでも言うべきか。実際、70年代のスティーヴィーは作品全体からスピリチュアルな雰囲気を醸し出していて、それが最大の魅力になっていたと思う。
それに対して、80年代の第一作目である本作『ホッター・ザン・ジュライ』からは、残念ながらそのような神がかった魅力は感じられない。洗練されたアレンジメントで彩られた、箱庭感覚のこじんまりとしたソウル・ポップスといった趣。キャリア的に「上がり」というか、もはやポップとして完成され過ぎている。
象徴的なのが“レイトリー”というバラッドで、たしかにスティーヴィーの温かいボーカルが堪能できる逸品だが、驚くほどスムースに流れていってしまう。なにひとつ「引っ掛かり」がないというか。本格的にレゲエに接近した“マスター・ブラスター”も同様で、かつてのスティーヴィーならあくまでスティーヴィー流にレゲエを料理していたはずだったが、この曲は普通に完成度の高いメロディアスなレゲエである。それのなにが悪いと言われればそれまでだが、それならスティーヴィーでやる必然も感じられない。
総じて、スティーヴィーの作品群のなかでは、コマーシャルな側面を強調した初心者向けのアルバムだと思う。
ただし、聴き込んでいくと単にそれだけじゃなく、スティーヴィーのポップに対する強い執念みたいなのを感じるようになった。“疑惑”なんて、ファンク印のシンセ・ベースからコーラスでの強烈なフックまで、至れり尽くせりの最高のポップスじゃないか!
おそらく、映画のサントラだった前作『シークレット・ライフ』が大コケしてしまったのもあって、スティーヴィーにとっては第一線で活躍できるコンテンポラリーな作家だと証明するための起死回生の一作だったに違いない。
事実、曲作りは相変わらず嫌味なくらいに巧い。考え抜かれて作られているのが分かる。その上で、ある種引っ掛かりのあるマニアックな部分を削っていき、誰でも気軽に楽しめる本来の意味での「ポップ・ミュージック」に丸めて均していったと。やすりをかけるように、丹念に。
というか、そういう誰でも楽しめるポップ・ミュージックを作るのが、実は一番難しいことじゃないかと思います。
っていうか、80年代のスティーヴィーはダメって言った人だれよ?(笑)
個人的には『
キー・オブ・ライフ』で終わるとされているスティーヴィーの傑作群に、これもひとつ付け加えてあげたい、優等生的ポップスな一枚。
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