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2009年09月11日02:16

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中国東北・ハルピン7・南崗区2

左はアール・デコの国際ホテル。1937年。
中はアール・ヌーヴォーの東清鉄道ホテル→ヤマトホテル。1901年
右は東清鉄道高級職員住宅。

一夜明けてハルピン最後の日。翌日は早朝に帰国なので街を歩けるのはこの日だけ。
前日携帯紛失騒動のため南崗区めぐりが中断してしてしまったのでその続きです。
その前に中央大街のお土産屋さんで必要なお土産を買ってしまいます。結局ロシア土産中心です。特にロシア語の包み紙のチョコレートをまとめ買い。
携帯はどうしても充分に充電できず、結局電池切れしたのであきらめました。翌日帰国するし…。

南崗区はハルピン駅の南(正確には南東にちょっと傾いてます)で、駅から南に紅軍街という大通りが伸びています。そこを進むと大直街という大きな通りと交差します。交差点が大きなロータリーになっています。紅博広場といいます。かつてここにはニコライ大聖堂という、ハルピンで一番中心となるロシア正教会がありましたが、文化大革命中に紅衛兵が壊してしまいました。
大直街はここから東側を東大直街、西側を西大直街といいます。交差点には古い建物が残っています。
まず北西側にはアール・ヌーヴォーの旧モスクワ商場。現在は黒龍江省博物館ですが、左右に延びた両翼にはお店が入っています。そこを南へ渡ると国際ホテル。ハルピンには珍しいモダンなアール・デコ建築です。縦ラインを生かしたデザイン、いかにもアール・デコらしい「HOTEL INTERNATIONAL」のロゴ、アール・デコ風の装飾。写真はその細部です。
そこから東へ渡るとフランス・ルネサンス様式の旧秋林公司職員倶楽部、現在は少年宮。

さらに北に渡って少し東に入ると頤園街1号というユダヤ人商人のお屋敷があります。古典主義をベースにバロック風の様式を加えた豪邸です。ここは現在領袖視察黒龍江省記念館になっています。入場料を払えば中に入れます。中では賀子珍展をやっていました。賀子珍は毛沢東の最初の妻で、革命の闘士です。その功績を讃える資料、写真が展示してありました。毛沢東とはうまくいかなくなって離婚したそうですが、もしこの人がずっと添い遂げていたら江青が毛沢東夫人になることもなく、文革の悲劇も軽減されていたでしょうか。

すぐ近くに黒龍江省老幹部センターがあります。これも昔のお屋敷で、1914年に建てられた古典様式の端正な建物です。ここから北へ向かいますと、黒龍江省郵政管理局があります。バロック風の派手な建物です。その先には中世のお城のような塔のついた赤煉瓦の旧中央電話局、現在は病院。ここから駅に向かうと、駅前にアール・ヌーヴォーの旧ヤマトホテル。現在は龍門賓館というホテルで、新しい建物がそばに建ってます。ヤマトホテルといっても、もともとは1901年にロシアが建てた東清鉄道ホテルです。日露戦争の時にロシア司令部となりその後アムール軍区軍官クラブ、ロシア総領事館となった後1937年にヤマトホテルになったのです。(写真中)

ハルピン駅からバスに乗ってずっと東の方へ行きますと、東北烈士記念館があります。もとは1928年に張学良の計画で建てられた図書館です。ウクライナ寺院を建てたジダノフの設計です。日本が占領して警察として使われたこともあります。重厚な古典建築で、正面にはコリント式のジャイアント・オーダーが堂々とそびえ、その上には三角ペディメントが乗ります。しかし現在は工事中で覆いに囲われています。その隙間から正面部分をなんとかうかがうことができました。

さて、バスで紅博広場の方へ戻り、西大直街の南の方に行きます。そこには東清鉄道の高級職員住宅街があります。本には「アール・ヌーヴォー」と書かれていますが、見たことのないような変わった建物群です。写真右がそのひとつ。赤地に白の水玉は近年まで幼稚園だったのでその名残だと思いますので無視するとして、この建物のデザインは一体どういったものなのでしょう。しかも似たような建物がいくつかあります。
ここを西へたどり、突き当たって北へ曲がって西大直街へ戻りますと、鉄路局が見えてきました。前日携帯をなくしたことに気が付いてゆっくり見られなかったのでもう一度じっくりと。
この近くには旧東清鉄道クラブ、現在の文化宮があります。映画を上映したり芝居を上演したりするところです。クリーム色の壁に白い柱の折衷主義建築です。

西大直街を紅博広場へ向かって行きますと、アール・デコ風の縦の直線ラインのモダンな建物に行き当たりました。1940年の日本南満鉄路林業公司で、今は上がアパート、下が商店です。
紅博広場を渡って再び東大直街へ入ります。このあたりは繁華街です。東の方へ行くとにぎやかな界隈です。その先へ行くと秋林公司があります。1904年に建てられたバロック風建築ですが、バロックにしては直線的な窓など現代的な要素が入っています。ロシア人の作った百貨店ですが、現在に至るまでずっと百貨店です。
その向かいに書店があったので入ってみました。入るとすぐ児童書コーナーでしたが本の整理のため閉鎖中。上が一般書店なので上へ行きました。やっぱりたいしたものはありません。でも歴史コーナーをうろついていたら唐代の歴史の本があったのでつい買ってしまいました。

紅博広場に戻って紅軍街を北上します。ルネサンス式の旧露華道勝銀行があります。1902年、東清鉄道建設資金を調達するために作られたハルピンで一番古い銀行です。
その向かい、さらに駅に近づくと旧南満鉄路駐ハルピン事務所があります。1924年に建てられ、1936年に日本領事館になりました。バロック式の華やかな建物です。

さて、ここでハルピン駅へ戻って「上がり」です。
ハルピンのガイドブックに乗っている南崗区の建物の大部分を見たことになりました。印をつけてみたらほとんど印だらけになって自分でもビックリです。数箇所残ってはいますけれど…。

「フォト」に前日の分も合わせて南崗区の建物をUPしておきました。

すっかり満足して中央大街のモデルン・ホテルへ「帰って」きました。
そして名残を惜しんでやっぱり中央大街を散歩。中央大街を横切る通りもじっくり。
しかしこの後、最後にひと山たちはだかる困難が出現したのです。
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