✦令和六年 新年 雑考
『地震カミナリ火事おやじ』という言葉がふと思い浮かぶ
現代人が忘れている言葉だ
忘れていってしまうこと自体はとても幸せて豊かなことなのだ
けれども
しっかりと刻んでおくべきことを粗末にすることは 避けねばならない
✦切り捨てる
先人の言葉をしっかりと受け取ることは大切なことだ
しかし そんな自明なことが わかっていない人も多く、一生懸命に説明をしても 真意が届かぬことも多い
だからと言って 一度 痛い目に遭えばええのや と切り捨てるわけにもいかない
✦災難
地震と事故のニュースが続いた
報道は 冷ややかな澹然さで震度7を伝えつつも 炎に包まれて飛び散る航空機を映し出す
これを見ていると遠い国で起こっている戦闘の叫びが絵空事のように捉えられて 温かい新年の団欒の中で それらの様子が 歪んで伝わっていくようで恐ろしい
災害の報道を 『高みの見物』的に報道するメディアの姿勢に 思わずとても腹が立ってきて「皆さんはいかがか」と呟いてしまった
✦恩を返す
だが それは メデイアにとっても安泰で幸福な国民からすれば 本音であり、怒りでありながらも不安でもあり辛辣にいえば『対岸の火事』なのだ
何も手を差し伸べられない焦りとモヤモヤの奥には 本来なら飛んで行って何か役に立ちたい気持ちがある一方で、幸せボケにどっぷりと使った自分に嫌悪感が突き刺さる
だが今の自分には これらの事態に対応できる余力を失った暮らしをしている
かつて 少しばかり豊かだったころには 中流ぶって何も行動を起こせずにいたくせに・・と振り返ると 募る心配のやり場がない
ヒトというものは 辛酸・苦汁を舐めてこそ そこに潜む本当の姿に出会え ヒトとしてのあるべき姿や恩返しの意味をやっと知る
辛酸を舐めることが必要条件とは言えないにしても 「現代人は甘い世界に浸りきってしまい 幸せに溺れている・・少し身勝手すぎるのではないか」
そう思いながら 「これを言うたら嫌われる」と言葉を飲み込んだ
✩✩
✦胸に手を当てる
アル中の従兄弟がいて、家族も(多分本人も)そのことを悩んでいる
人生六十年を過ぎたら 歩く姿勢もモノを見る視点も 喜怒を感じる触覚も 軌道修正をしていくのが望ましいと考えている
鬼が現れて悪戯・愚行をする若造を叱るのは 人生の前半での場面でのことだ
四十歳を超えたら誰も叱ってくれなくなってくる(これは仕事でも似ている面がある)
それには叱る必要がない理由があるからで、愚行を決して許したわけではないのだ
ヒトは この怒られなくなることが怖いことで そこの意味に思いを巡らせ胸に手を当てることが大切なのだ
我が従兄弟には 最早や鬼が近づいて苦言を吐くことはないだろう
『地震かみなり火事おやじ』── 心に鬼を棲まわせて 自分の胸に手を当ててみる
✩✩
✦孔子の言葉は重く響く
子曰く
吾十有五にして学に志す
三十にして立つ四十にして惑わず
五十にして天命を知る
六十にして耳順う
七十にして心の欲する所に従えども矩を踰えず
✩✩
✦六十六年
平成六年が明けて いきなり大惨事が連続的に発生した
私にとって六十六年目の年を迎えており、この数字は 祖父や父が亡くなった年であるということであるゆえ 次々と自戒の思いが浮かんでくるのだ
二人は それぞれ六十年・二十七年前に何も言葉を残さずに逝ってしまった
幾つかの格言を口癖にしていたのを記憶するものの それを胸にする自らの思いを聞かせてくれたことはなかった
✩✩
✦『地震カミナリ火事おやじ』の警鐘
地震に襲われたり 飛行機が炎上する映像を目にして 過去から未来へと必ず右上がりに進化してきた現代を立ち止まって見つめ直してみたい
恵まれた環境を築き上げ、豊かな暮らしと幸せを手に入れて、自らが苦渋を舐めて勝ち取らねばならぬものがなくなっていく
経済の進化がお手本のように与えてくる新しい生活文化やAIが提示する提案に 素直な顔をして暮らしを築くまじめでおとなしい現代人
常に生活の苦痛と貧困に対峙していた世代から見ればもどかしさを拭いきれない
ガス、水、電気、灯(あかり)・・確かに何が欠落しても生活に支障が出ることは否めない
しかし 縄文人・古代人をこんな時に比較に持ち出せば非難されることは納得の上で その時代の人々は 果たして 苦難で不自由で寂しく悲しく貧しく不幸せな生活をしていたのだろうかと思いを馳せる
『地震カミナリ火事おやじ』
この言葉の奥には 現代人への厳しい警鐘が潜んでいるのではないか
ログインしてコメントを確認・投稿する