大晦日に音楽篇(4)を書いてから、ひと月以上が過ぎる。
忘れていたわけではない。次から次へと甦る「あのころ」を纏めきれないのです。アキラメタ。
> 君は何を今待ち続けるの
> 街の片隅でひざを抱えて
> 届かないあの手紙 別れた夢
青い三角定規がそんな歌をうたっていたころがあった。
その歌の本当の意味など分からないまま、ギターを抱き口ずさんだ時代があった。
あのころ、人生最大の壁と思っていた受験という試練に挑む日々の合間に、同じく競い合いながらも心を本当に許しあえる友がいた。
(※ あんなの、人生において何の壁でもなかったということにはずっと後になって気づくのです…)
中村雅俊が青春ドラマの主役を演じ、そんな世界へともう一歩で自分たちも辿り着くのだ、という夢を持ちつづけた。
> 夢の坂道は木の葉もようの石畳
> まばゆく白い長い壁
> 足跡も影も残さないで
> たどりつけない山の中へ
> 続いているものなのです
下駄を鳴らして街を歩き、気分転換と言って多摩川上水のほとりの並木道や小平霊園を駆け回った。南武線の鉄塔の向こうに夕日が沈むのを眺めては、早稲田の杜にそびえる理工学部の研究棟に未来を馳せた。
1年間の萩山寮の暮らしを終えて江古田にある能生館という下宿に、文学部に進んだ島田君の紹介で私は転がり込んだ。法学部の先輩が4人、商学部の先輩が1人という顔ぶれで、そのみなさんと一緒に(私だけが)のほほんな学生生活を始めたのだった。
> 青春時代が夢なんて
> 後からほのぼの思うもの
> 青春時代の真ん中は
> 道に迷っているばかり
阿久悠は、こんな名言を何処でどうやって思いつくのだろう。
青春という言葉は、あのころは嫌いだった。
フォークソング、ジャズ、クラシックという音楽ジャンルを行ったり来たりしながら、筒美京平という作曲家に染まってゆく。
70年代の歌謡曲と筒美京平に明け暮れて、朝から晩まで部屋では音楽がなり続けているという大学時代を過ごします。
事情があって能生館を2年で出ることになるのですが、江古田を気に入っていた私はこの場所に住み続け、たまに西武線、地下鉄に乗りたくなって大学に出かけるものの、大学界隈の古本屋で文庫本を抱きかかえるほど買い込み、江古田駅裏の焼き鳥屋さんで持ち帰りに数本買って、風呂もカーテンも無いアパートでビールを飲むというようなグウタラな暮らしをしていた。
アパートは桜台3丁目という高台にあった。あのころは地下鉄など無く駅まで20分ほど歩くところだった。その代わりに、アパートの廊下の突き当たりから富士山が夕日に赤く染まっているのを見ることができた。
恋人もいない、静かな暮らしだったなあ。
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江古田のことは、
http://homepage3.nifty.com/bike-tourist/dustnote/
こちらに書いた2004年ころのものが、もう少し詳しいです。
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