それは随分と昔の、夏の日の土曜の午後のことです。
音楽室にはグランドピアノが置いてあります。期末テストが始まっているのに生徒がポツリポツリと現れて、普段の吹奏楽部の練習のときと同じように机を向かい合わせにしてお弁当を食べたり、ピアノをスタンドバーのカウンターのようにして肘を着いて昔の合宿のアルバム写真を見たり、お菓子やおにぎりをつまんだりしています。
私はここの常連で、吹奏楽団の一員です。土曜の午後には、生徒たちの練習に混じって音を出している仲間なのですが、期末テストが始まっていて練習が休み中でも、いつものように音楽室に来て、ピアノの前に座ったり、お菓子をちょっと失敬したり、生徒たちの他愛無い話に首を突っ込んで楽しんでいます。
テスト期間には練習がないのを知っていながらこの部屋にやってくる子たち。「おい、試験はどうなんや」と尋ねると、「まあまあかな」とどうでもいい返事をしてくれる。「帰って勉強せんのか?」と聞くと「そうなんよ、お母さんがウルサイの。もう3年生やから、練習に行くなって言うのん」とやや愚痴り気味です。
グランドピアノの前に腰掛けて、彼女は久石譲の譜面を置いて弾き始めます。ひとつの音楽として聴かせてもらうと技術的にも未熟な演奏ではあるものの、演奏中の顔は最高にリラックスしていて、にこやかさと真剣な眼差しが交互に入れ替わり、音楽のテンポよく、まるで生き物のように弾んでいます。何よりも彼女の顔が大人びて美人に見える・・・・。
「家ではピアノ、弾かさせてもらえぇへんのよ、勉強しろって言うの」
そういいながら「天空の城ラピュタ」の譜面集を閉じて、近頃習った音楽などを弾き始める。たいしたもので暗譜しているらしく、順番に思い出しながら弾いてくれます。
「モーツアルトやベートーベンを聴かせてよ」と私がねだると、それも思い出しながら弾いてくれます。小学校になったころから習っているというだけあって、もしかしたら音楽の先生(声楽が専門だし)より上手かも知れない。
教室には数人の子どもたちがいます。弁当を食べ終わっておしゃべりを続ける子。楽器を出して吹き始める子。私のリクエストにこたえてピアノを弾いてくれる子。女の子が多くなりました。昔の吹奏楽部は男子がもっと多かったのに。
その部屋には生の音が溢れています。生のブラスの音ってのは録音では味わえない素晴らしさがあります。夏休み前ですので、1年生がまだまだ決して上手じゃないのですけど、演奏する楽しさがちょうどわかり始めるころで、みんなは音楽室に息抜きにやって来るんです。自分たちで生の音を出し合って心の緊張をときほぐして帰ってゆく。
この音楽室にはもうひとつ素敵な所がありました。窓にもたれると街の向こうに海が見えるのです。そして大きな湾の出口あたりをゆっくりと進んで行く貨物船の姿なども見えるのです。彼女たちの演奏を聴きながら、ぼんやりとしていると、ブラスの響きが身体の中に溜まった垢のようなものをすべて振るい落としてくれました。
いや、あまりにも暑い日が続いたので、昔の夏をちょっと思い出しただけです。夏休みの練習はお盆まで和気藹々とではあるものの、びっしりと続きます。そしてお盆があけて合宿。今度の休みには、久し振りに音楽室を訪ねてみようかな、なんて思っています。
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