今朝の新聞(朝日)を開くと、私が以前居た会社が5000人のリストラ…などと書いている。今はもはや人員整理とか早期退職者とかいう表現をとらずに、あからさまに「リストラ」と書いても、世が受け入れる時代になったのかもしれない。
私が辞めたときは公表で約1万5千人だったが、噂では2万人という声もチラホラだった。そのチラホラの背景には、人材は「人財」だ、と神様のように言い奉り上げ、社員の頑張りを煽りあげようとする社風の裏腹に、社員など財(マネー)の種でしかなく金を生み出す道具だとしか思っていないという実態がある。そのことを、暗に社員は気づいているからこそ、噂も生まれてくる。
もとは創業者の偉大なおかげで社会的なステータスも高まっていたのであるが、この思想のころから所詮使い捨て文化の理念が底流にあったと、今になって振り返ることも出来よう。まあ、多くのことを学ばせてくれた感謝すべき会社だが、もはや私には関係ない会社だから、あまりのことは言えないのだが。
今お付き合いをしていただいてるいくつかの会社の方々にこの会社の話をして、「会社はこうでなければ上昇して増殖することは出来ないし、優秀な商品は出来ません」ということがある。
しかし、「人の心は枯れ果て、人間性や創造性を失い、管理されることに長けた面白くない人間が増えてしまう恐れもあります。その危険性を数字でデジタル処理して分類処理し画一的な判断を加えた結果が、現代社会の最も醜いモノを作り上げてきたのだということを、多くの国民も気づいていながら、寄らば大樹の陰であり我先勝手の論理で乗り切ろうと」している。
5000という数字そのものは私には関係ない話でが、この数字が何を物語るのかは無関係の人々でも考えねばならないのではないかと思う。
さらに、「人間を枯れさせてはいけません、枯れた人間が考えたものは、いずれ枯れてしまうかもしれません、多くの点を真似しても構いません(真似すべきことも多いです)が、良い点を数ポイントに絞って残りをばっさり切り捨てなければいけない」と、あくまでも雑談レベルですけど、話します。
「痛みを伴う・・・」という表現があるが、矛先を誤った茶番劇に使われてはまったくこの言葉が気の毒です。
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