mixiユーザー(id:20808806)

2026年03月01日23:05

49 view

「時計じかけのオレンジ」を見て。〜教誨師さま、いまだ我々は善悪の区別を誤っております〜

「午前十時の映画祭15」にて、半世紀近く前のリバイバル公開時以来の対面。当時は、反抗期も胸の内で制圧し「良い子」で過ごしていたので、現在、奇しくも都会ではローマ帝国の暴君に扮した80年代の問題作が、再構成公開されているマルコム・マクダウェル氏のその後しばらくの役柄イメージを固めるに至った、暴力や暴行が生き甲斐の10代不良チームのリーダーの常軌を遥かに外れた行動には、ただ「有名な監督の作品だから見に行こう」と友人を誘って出かけた同じく当時10代の自分には、相当な驚きに打ちのめされた記憶を植え付けた。(女性の局部を覆い隠す、●が数分画面上に踊っていて、隣に座る友人に冷静さを取り繕う必要がよもや出て来るなんて思ってもいなかった動揺も占めていたけれど。)

今回の上映に際しては、「フルメタルジャケット」公開の際の監督からの翻訳クレーム問題以降の指名が続いたのか、字幕監修は我が街の観光大使も務めた原田真人監督が手掛けられて。原作設定を引き継いだロシア語寄りの英語スラングのナッドサット語への苦心の対応が現れた字幕でした。なにより午前十時の映画祭には滅多にない「R-18」レイティングとなって●は蹴散らされ、ありのままが銀幕に投影されて。露わになったものは毛髪の陰りがそれと認められる程度の写りで、目隠しは余計な疑念を生じさせるのみで要らなかったのは明らか。

余談が、過ぎました。この再会までの間、こちらも研鑽を積んで参りました。目にして来た数多の作品におけるアウトロー達の社会に相容れない行動の描写を思い浮かべてみても、鮮烈さは色あせないながら、それこそ目を覆うようなリアル感に満ちた肉体損傷は皆無なのだけど、劇伴は、ベートーベンのクラッシックを押し出し、初見の時はイヤでしたが、アレックスの暴行のシーンで「雨に唄えば」を歌わせるとか音楽の使い方や、エロチックの中に登場人物の抑制した欲を案じさせる家の装飾を始めとする美術等の表現発想は、類似作から画するものがあって。製作当時の世相や様式との結びつきを除外して創造性に徹した構成からのウルトラバイオレンスな描写の影響度は、現代にあっても年齢制限は妥当でしょう。

本作の展開では、マルコム氏扮するアレックスが無軌道な行いで逮捕されて。罪への反省はなく、服役に耐えられない現実を回避したい彼が、刑期を縮めるべく教誨師にすり寄って「模範囚」に徹していたところ、社会治安に打開策を打ち出したい政府関係者の目に留まって刑期をチャラにする条件で「ルドヴィコ療法」の被験者となって。

アル中治療でも使われる、気分が悪くなるクスリを注射されて。拘束状態で、器具で目を見開かされた状態に置いたうえで、暴行や危害を加える様子を収めた映像を流し込まれて。療法を経たアレックスは、暴力や性行為の対象を目前にすると、気持ち悪さが押し寄せ拒絶反応を示す「反射反応」を植え付けられる。療法の間、自身が好きなベートーベン第九を流された結果、その楽曲を耳にしても精神的に追い詰められて。社会に飼い慣らされる人間になると同時に、自分が好ましいと思うものを捨てる事となる。つまりは、その人らしさを喪失する。

その「ルドヴィコ療法」を受検したアレックスを巡って、政府と反政府の立場の人たちの駆け引きがあって、政争の道具として扱われるところに、作り手のシニカルな問題提起や皮肉が籠っていて。本作でみせられる、生来のその人らしさというのが、先に書いた前半部分のアレックスの傍若無人ぶりで。教誨師様は、「療法」の過程を知っていて、「苦痛からの逃避」つまりは都合の良いように管理するのでは無く、自らが善悪を判断しなくてはダメだと正論を示す。ハッキリと伝わる快楽に流され易い人間に、果たして自らによる善悪の判断が付く時代が来るのか。

テクノロジーは進んでも、結局は、取っ付き易い情報で判断をした有様が今日でありますけど。判断材料を得る手段が、簡単な分結論が早く、短絡的になっていて。体制側には、やりやすい世の中で、本作に示されているジレンマには程遠く。時代の空気だけ対比すると、本作製作当時よりも「良い時代」と今が見做されそうだけど、実は、本作のアレックス全快前までの体制側主導だった息苦しい過程に、現代は当てはまっていそうで怖い。

拙文にお付き合い頂き、ありがとうございました。
シネマサンシャインららぽーと沼津 シネマ��にて

3 2

コメント

mixiユーザー

ログインしてコメントを確認・投稿する

<2026年03月>
日 月 火 水 木 金 土
1234567
891011121314
15161718192021
22232425262728
293031