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2024年07月07日22:53

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「プリンス ビューティフルストレンジャー」を見て。〜When Doves Cry 殿下の故郷ミネアポリスに抱(いだ)かれて〜

劇場公開作品として、興味を引くためにパッケージングとしてある程度の「装飾」は致し方無いものとして。あの突然の訃報から早八年。邦題は、後にも先にも比類なきアーティストの存在をデコレートしているが、原題が大まかに指すのはミネソタ州のミネアポリスの北側に住んでいたネルソンという一個人である。

この作品が見せるのは、単純にロック、ポップ、R&B、ファンクと一つのジャンルに括れない稀代のカリスマアーティストの足跡を振り返りつつ偲ぶためではなく、多くの人々を魅了した音楽を産み出した人格と才能をモデルに、1950年代以降のアメリカでの公民権運動以降の社会変革を黒人移住都市のひとつミネアポリスを例に街が、よく知られ今も愛される「一個人」の変遷に如何に関わって来たかを、関係者の証言に映像・画像を交えナレーション構成されている。

当然、プリンスの経歴、ディスクグラフィーが頭に入っていた方が判りは良いのだけれど。本編開始早々、大まかではあるが「アーティストの著作管理団体からの許可を得られておらず、曲使用も不可で、本編中の劇伴や本人肖像の処理画像も協力者の自発的提供である。」的な断りの画面表示がされる通り、本編での「楽曲」紹介が許されて無い為、それを求めるムキには、物足りないうえに、1時間チョイの今のご時世からしたら短い尺なのだけれど、「とっかえひっかえ」でも人の話を聴かされ続けるというのに耐えられなかった御仁も居てもおかしくない。せめて、談話の中に、彼のバンドメンバーだとか、ミネアポリスのバンド仲間の証言が在ったら、この作品への興味を保つ事が、まだ、容易だったかもしれない。

最初に見せつけられた「お断り」を目にする以前から、メディアの紹介でライブ風景や楽曲演奏場面が単純に押し出されたものでは無いのが想像付いていたし。それとは別に、「プリンスの人としての知られざる一面でも、垣間見られれば良し」と、心していたところに、偶々この作品の前に見たのが「あんのこと」という流れのお陰で、本作の核心部分に得られるものがあったので、私としては見られて良かったです。

殿下を認識した「パープルレイン」に収められた1曲「When Doves Cry(楽曲邦題ビートに抱かれて)」には、両親がいがみ合う姿が歌詞に織り込まれている。この本編でも誰かの談話に出て来るが、幾つもの楽器を独りで奏でられて、曲作りからスタジオ作業までレコーディングを熟知して、興が乗ればステージ上でのパフォーマンスも長い時間続けられて。彼と同じ位の献身、奉仕を周囲のスタッフにも期待するほどの音楽に対して身を捧げるほどの素養の持ち主なのだが。

それは、ジャズピアニストの父やシンガーの母から培われたのではなくて。独学で身に付けたとは何となく聴きかじっていたのだけれど。公民権運動の流れで、ミネアポリスの街中に有色人種の子供達に向けて、社会に出る「手立て」を学ばせる指導施設「ザ・ウェイ」の中に音楽に触れさせる教室があって、そこを巣立ったアマチュアアーティストの1人がMr.ネルソンこと、我らが知るプリンスだったとは、本作を見るまで知らず。

「あんのこと」の中で、小学校を母に退学させられた挙句ヤク中になってしまった杏が、東京下町の薬物中毒者の集会と年齢国籍関係のない学び舎、どちらも公共ではなく任意の団体に受け入れられて社会での居場所を掴んで。一概には比べられないけれど、手を差し伸べる組織が個人に果たした意義をこの本作でも知らしめられました。片や、「コロナ禍」のために、事件が記事になって初めて知られた儚い存在に対して、こちらは、世界の音楽シーンで知られるビッグな地位を得られた訳ですが。

ミネアポリスにあるライブハウスが、プリンスをはじめとするグループを輩出する拠点になって。「ザ・ウェイ」を巣立った後も、街と住む人々の関係性を伺わせる。彼が成功を手に入れて、自前のレコーディングスタジオを出身地に所有する事は、既に知っていたのだが。本作が集めた談話によれば、ただ彼がそこで、周囲に邪魔される事無く創作活動に没頭していたのではなく、ファンに向けて施設を解放するだけでなく、家主であるプリンスがそこに居れば、「交流」をして自身の創作に意見や材料として還元するに止まらず、スタジオに他のアーティストが来て興が乗れば、フリーで見られるセッションを見せていたとか。

そのエピソードが詳らかになる前は、如何に彼がシャイで、自分と同じ情熱と技量を一方的に期待する片寄った人間性が示されていたのに、突然の人格の変わりっぷり。殆ど、休むことなく、音楽に明け暮れていたって話は聴かされていたので、前述のフリーセッションの件は理解できると共に、知っていたらミネアポリスまで旅してみたかったと思いつつも。あの孤高なジ・アーティストが、自ら胸襟を開いて第三者を受け入れていたとは、にわかに信じがたくも驚かされました。

その談話を聴取したメンバー中、同じアーティストでも、彼と、しばらく随行していた「身内」的存在の方からの談話が無かったのは、管理財団が手を回して接触を避けられたのかもしれず致し方なかったけど、そこは少々寂しい部分でもあった。唯一、近しい存在が、彼の初期の頃の曲をカバーしてヒットさせたチャカ・カーンさんで、もう誰がなんと言っても動じない殿堂入り級の存在だから、出逢った頃の殿下の「人見知り」接近から、まだ世間知らずだった彼を、普通に嗜めていたって、当時の格の違いエピソードまで納得のお話でした。

あと、意外な登場では、俳優のデニス・クエイド氏が、パープルレインお披露目の時、自分の前の席で殿下が椅子の背もたれよりも身を低く屈めて周囲に気付かれないようにしていた様子を語っていて、役者のステイタスに何の関係も無い、単なる目撃談だったけど。

プリンスの音楽に浸りたい、振り返りたいという目的には叶わないのが、ファンとして失望を買って中途半端なのかもしれない。多少、彼を知っていて、アメリカの公民権運動からの「社会」を1人のアーティストを通して見るという分には、お役立ちするかな。いずれにしても、財団から著作使用権が降りて、また、アーティスト伝記映画が撮られるとして、今回のこのドキュメンタリーであがっている「ネタ」は、使われる可能性は薄いだろう。街が人に係って、人が街に何かを還元するという社会人間学的見地からしたら、実に良いエピソードだったと思う。

拙文にお付き合い頂き、有難うございました。
シネマサンシャイン沼津 シネマ5にて

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