http://bike-tourist.air-nifty.com/hiroka/cat20969117/index.html
引き潮〔2004年3月号外〕
外出した帰りに大きな橋を渡りました。そしたら潮が引いて干潟に海鳥がたくさんいるのが見えたの。この河を下っていけばすぐに海に辿り着くことは以前から知っていたので、1度だけ行ったことがありました。あの時は雨降りで、しかも潮が満ちていた。
ドキドキするような衝動が巻き起こって、橋を渡り切った交差点で河口に向かう道へと折れたんです。ちょうど3時過ぎでした。
太陽はまだまだ高く、西の空を見ると白くまぶしかったけど、東のほうに広がる海は真っ青で、波も立てずに落ち着いているというより、どっしりと両手を広げているように私を迎えてくれます。呼吸をするような小さな波と、沖合いのほうを揺さぶるような大きな波が、海原の霞むあたりでぶつかっているような気配がします。このまま、堤防を降りて、海を歩いてゆけそうな感じです。行けっこないのにね。
海が嫌いなときもあれば、好きなときもある。
昔、ある人を誘ってこの海岸よりももう少し南の海に行ったことがあった。太平洋の入り口が見える浜です。大きな貨物船がゆっくりゆっくりと動いてゆく。
私たちが急いで車を飛ばしてきた時間の10分の1以上にゆっくりと時間が動いていた。あれほど多弁にしゃべり続けた私たちが無言になって、遠くを見ている。水平線の向こうには夢があるのかな。心の中で、失った愛しい人のことを思っていました。
◆◆◆◆◆◆◆
木星(ジュピター) 〔2004年3月下旬号〕
春の夕刻は、秋のような物悲しさではなく、一種の爽やかさを感じる。花が咲いて、昨日より今日、今日より明日と、暖かさが増してゆくせいもあろうか。
夕やけの空に金星が輝いている。驚くことに、そのそばに火星、さらに土星もいる。
ジュピターという音楽を平原さんという人が歌っている。この人が歌っている曲は、ホルストの組曲・惑星からいただいたもので、詞はオリジナルらしい。彼女の歌は、今ふうの洒落たアレンジをしてくれている。8分の6拍子を思わせるリズムラインに、4ビートふうに歌を、スローに乗せている…。
こたつに寝転んで本を読みながら、家族が見ている歌番組に半分ほど耳を傾けていたら、近頃には珍しく、難しいリズムを上手に(微妙にずらして)歌っている人がいたので、画面のほうを見上げたら彼女だった。遅いリズムを正確に歌える人が少ないだけに、少し聴き入った。(カワイコチャンだったし)
そしてさらに、その木星が東の空に見える…ということがわかった。木星はちょうど今の時期、太陽の反対側にあって、一晩中かかって天を横切ってゆくらしい。
夕刻の空で太陽系の惑星をこうして神秘的に見上げていると、自分たちの大地がその惑星の1つの地球であることを忘れかけていることにも気付く。頭の中には、子どものころに習った太陽系の図が広がっていて、一生懸命に宇宙をもっと高いところから眺めようとしている自分がいる。
3月27日の夜には、その地球をじかに背負って眠る。数々の惑星を見上げられるようなよい天気に恵まれますように祈りましょう。 〔3月21日〕
◆◆◆◆◆◆◆◆
腑抜け〔2004年3月中旬号〕
土が温かくなっていると書きながら、熱伝導率のことを考えていた。寝言のようなことを書くがゴミ帖なのだから許されたい。
大気が温暖化の傾向を表している。これが地中に伝わって、土壌の内部の温度が上昇する。温度が伝わることを伝導とよぶことにします。
その際、まず、その伝わる度合いの差を一定の領域に当てはめて考えて、これを温度変化式で表してみます。
〔温度変化率〕=〔温度変化〕÷〔領域〕
引き起こす熱エネルギーの流れは、1次式で表現でき、上式に定数を掛けると熱の流れが求まります。
〔エネルギーの流れ〕=〔定数〕×〔温度変化率〕
となって、ここにある定数が熱伝導率になる。
つまり、温度の変化率をパラメータとし、熱伝導率を定数とした1次関数で与えられる式が熱の流れになります。
そこで、熱の流れって何だろう?
水の流れと同じようなものでしょうね、と私は考えようかと思うのですが、ここらあたりから本当に(目覚める前の)夢の中での話となっていました。川の上流で大雨が降って、大量の雨水が大きな塊になって流れて、河川が氾濫し海に流れ着く場合も同じように考えてもいいと思います。
土地高度較差、雨が時々刻々と降る変化率、土地が枯れているときとたくさん雨が降った後との雨量較差などなど、人は刻々と変化するものを捉えて、変化率という概念を持ち、この変化率を時間軸で積分するという知恵を考え出しました。
訳のわからない数学の話は、面白くないし苦手なので、まさに寝言ですけど…、桜の花が咲くのは、土壌が大気の温度の変化率を積分したかのように知っているからなんだなー、積分値が大きくなってきたので花が咲くんだなーと感じただけなんです。
ただ、桜の開花時期が年々、正確に早くなっている話を聞かされると、(熱伝導率や土壌の比熱はまったく変動しないのだから)、即ちこれは、「エネルギーの流れが速く」なっていることを意味します。人間は何も実感していません。だから「平気よ」と開き直っている。
天敵に狙われて命を奪われる恐れに対し常にアクティブに構えている動物たちはあらゆる物事の変化に非常に敏感です。人間は目に見えない物質の物性を科学的に解析したにもかかわらず、腑抜けになって油断をしている。違いますか?
◆◆◆◆◆◆◆◆
麦〔2004年3月初旬号〕
麦がぐいぐいと大きくなって緑を逞しく成長させている。この姿を見ると春が近いのだなぁ、待ち遠しいなぁと感じ、自然の息吹に感動するのである。
都会でも麦畑を見ることができるのだろうか。風はまだまだ冷たい。しかし、バイクに乗って郊外に飛び出したい、そう思っている人も多いだろう。思い切って出かけるのもいいでしょう。梅の便りが真っ盛りです。あのほろ苦い香りが、地味でありながら愛しい。
春という季節は、混沌とした部分もありながら、閉ざされて枯れていた自分自身が、これから夏という季節を迎える準備をするのだという、わくわくドキドキするひとときでもある。
ぼたん雪がはっさくの木に積もって花火が開いたように成っていた黄色い実が雪をおぶって重たそうにしていた1月、2月。しばらくしたら、南風が吹き荒れて、その後北風が再び吹いて、黄色い実は落ちてしまった。真っ黒い土の上に転がった実を集めに畑にゆくと、ふきのとうが芽吹いている姿を見つけ、目の前に広がる麦畑に足を踏み入れてみたくなってきた。
土が温かくなってきている。
◆◆◆◆◆◆◆◆
校歌〔2003年3月下旬号〕
卒業式の季節が過ぎていった。我が家の娘さんも中3なので卒業だったのですけど、クラスのほとんどがそのまま隣の高校に進学するので卒業にセンチさはまったくなさそうである。山のように積み上げられた春休みの宿題に埋もれて不平を言い、幾分、投げやり気味である。
三角関数がわからないと泣きべそをかいていたかと思うと、わからんものは仕方がないとあっけらかんとしている。焦るわけでもなく嘆くわけでもなく、ただ楽天的な雰囲気でいる。
それならそれが一番いいと思う。長い人生のひとコマであるなら、目の前に難題が山積されていることなど何ら異様なシーンではない。
飄々としているけれど、実は悩んでいるというのが最も始末が悪い。しかし、私には実のところ、あの子気持ちなど計り知れないので、私が飄々として見せて、できなくてもいつかは何とかなるだろう、と言ってやるしかない。仕事がなくても私は飄々としている。そんな私が最も始末が悪いのかもしれない。
「疾風に勁草を知る」というではないか。私に本当の力があったならば必ずや芽を出すだろうと信じるしかない。本当の力とはなんだろうか。
さて、校歌の話を書こうと思っていたのだった。校歌を歌う季節となっています。皆さんはご自身の母校の校歌が全部歌えますか?
私は幸いにも楽器に縁があって中学高校と吹奏楽部で演奏したため、すらすらと思い出せます。大学では少林寺拳法部にいたので、これまた新入部員は嫌になるほど歌わされました。
また、小学校の校歌というのも意外と覚えているもので、校舎も校歌も今はすでに新しくなっているけど、私の記憶には鮮烈に残っています。どんな思想であっても異なったイデオロギーを持っていても、そこで修学しようとする学生をたたえ、また学生は恩師に感謝の気持ちを抱き日々勉学に励むのが普通の時代だったころ、私は決してそんな優良な学生ではなかったが、多くの学生は校歌を歌ったのですね。
春になる。学校を去る人は次の新しい闘いの地に向かい、次なる学校に進学する人は希望に満ちて新しい学舎の門をくぐる。こういう怒涛の中に踏み出してゆく人の気合に触れていると、まったくの他人でもうきうきとしてくるから不思議である。未知なる荒波に呑まれぬようにしよう。
これを書き始めてあっという間に日日が過ぎた。桜も咲いた。小泉さん、桜の下で校歌(塾歌)を歌えばそんな意地のツッパリのようなことを言うのも恥かしいでしょう。福沢諭吉が泣きますぜ。
ログインしてコメントを確認・投稿する