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2007年03月16日09:38

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夢を食べる虫 ─沈丁花─

94/02/02 に書いた文章です。
長いシリーズの一篇です。
もう20年以上前に書いたんですから、免じてください。

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私が二十歳の時の新聞記事のことを書きます。
70歳を超えた老人の方の投稿でした。
“進級試験の結果を見に行く途中で沈丁花の花の匂いを嗅いだらだめ”というジンクスがあって、自分もその匂いを嗅いだ。案の定、原級留置の処置を食らった。今は留年などという優しい言葉で表現するが、当時は『落第』と言った。しかし、友人は人の二倍もできて今となっては良い思い出である。
そんな記事でした。(朝日新聞・地方版練馬で読みました)

私も『落第』経験者で、デキは今でも良くないのですが、思い出だけは何故かたくさんあります。(しかし、それも日記を繰らないと思い出せなくなってきているのが残念です)

私は貧乏な田舎の農家の長男でしたから、親は自分の無学を省み私を東京に出してくれたのだと思います。意に反して、私は勉強をしなかった。“才能など無いのに都会に出てまで勉強など、身分不相応なことをしようとしたのが良くなかったな、帰ってくるか”と親父に言われると余計に帰れなかった。何故か、意地を通した5年間でした。

学問に接するチャンスを与えてくれた親父は田舎の農家の跡継ぎで、自分なりに工夫をして考えて自然の中で暮らしています。その姿のありのままを私は見ていました。松茸を採りに山に入って両手に抱きかかえて帰ってくる姿。タラの芽を摘みにいって根こそぎ採らないで、次の人のために(後から登ってくる人のために)残し自分に必要な分だけ採る事を教えてくれたこと。お風呂で燃やす薪を拾いに山に行って、木の名前を順番に教えてくれた。驚く私に、鳴き声を聴いて鳥の名も教えてくれたこと。

別に、学問を多く受ける必要はないなと感じました。“何の為に学ぶのか”はまたあとで考えてみたいと思いますが、こうして自然の中で“生きて”“生かされ”ている姿に『共感』をして田舎に移り住む人も多いのではないでしょうか。

工学を専攻することに優越感を持った時期があります。(例えば、なんや農学部か…などと云う訳です)しかし、学問に優劣があるわけではない。さらに、学士号が重要であるわけでもない。大学を出ることが大事ではないのだ、ということはずっと後になって気が付くのですが。

沈丁花の花の香りから話がそれました。二十歳の頃は、自問自答の毎日でした。何故、工学部なのか、電気通信なのか。文学ではいけないのか。大学と就職は延長線上に存在するべきか。高貴な学問は農家の、農業を継ぐ人間には不要か、などなど、色々なことを考えました。

結論は出ませんが、今はある程度まとまった考えを持っています。ただ、他人様に(細君などに)話しても理解してもらえないようです。現実的じゃないんだそうです。しかし、そう言われる私も、自分ではものすごく現実を見つめていると思っています。

まとまりの無い話になりましたが、“沈丁花を庭に植えようかな”と考えるのも今の季節です。庭に出てふと息を抜ける時間です。

仕事のことばかり考えて、責任感という言葉の下(もと)にモーレツに働く人。そう言う人を見ていると、“あなた何のために生きているの”と聞きたくなる。バリバリと働くのは結構ですが『地位』『財産』『名誉』を得るためだけに学び就職をするのならやめましょうと言いたい。夢がないじゃないですか。あったとしても儚(はかな)すぎる。

いいえ、私は、皆さんが何のために働いて、何を夢に持っているのか。人生80年、睡眠時間を7時間として20年は眠っています。その残りを有意義に活かすために何をしようとしているのか。

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【銀マド:深夜の自画像】http://motoka.exblog.jp/i12
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