1941年4月に官僚・軍・民間から選りすぐられた若いエキスパートたちが内閣総理大臣直轄機関「総力戦研究所」に招集された。内閣直轄の強みで収集される国家レベルの機密情報を元に、集められた各精鋭達は、所属や特性に基づき省庁の大臣・役職者の役割を付された「模擬内閣」が組閣されて。欧米列強国との開戦を想定して戦局を議論し積み上げた結論を報告する事を命じられる。
「模擬内閣」で開戦分析の取り纏め責任者である内閣総理大臣を指名される宇治田に扮するのが池松壮亮さんで。その補佐役割と情報取り扱い責任者の樺島役が仲野太賀さん。因みに、現在放映中の大河ドラマとは序列が逆である。本作の見所には、某所の建物内に精鋭達が、口角泡を飛ばす距離感での激論の描写があって。その場には、板張り吹き抜けの広間に各人の机が部署単位でそろえられていて。さらに、精鋭たちの論戦を本当の内閣や、この場を取り仕切る軍部の役職者達が見守るという、円形舞台的な設えとなっている。それこそ、「12人の怒れる男たち」の系譜に連なるようなディスカッション劇が、池松さんを筆頭年長者とする若手男性演者(前野朋哉さんや、三浦貴大さんは別格になりますけど)によって繰り広げられる点でも、真摯さ熱さが満ちて来る。
実権者達の衆目に晒されての質疑と検討なので。ホンネの意見が発し難いから彼らの「意」に沿った見立てで無難に済ませてしまった方のが、役目を終わった後の「身の振り方」に不都合が生じないのではと考えても致し方無いところ。
特に宇治田については、肉親そして自身に「伏せたい過去」がある上に、周囲に於いても身の振り方を萎縮される出来事もあって、当初の彼は事なかれの姿勢を決め込むのだが。精鋭者同志で意見を交わす内に、情報を知り得て生かす術を知る者として、その義務から分析にのめり込んで行くのだった。
欧米列強国からの圧力に屈せず、日本の世界的地位を維持し高めなくてはならないとする強硬的精神論者と、シュミレーションから導き出される欧米との歴然とした格差を表す数字が示す現実直視を訴える者の対立。その過程で、「犠牲や損失」に結びつく数字を論ずるにあたって、名もなき尊い人命が軽んぜられていると机上の分析者が陥りがちな傲慢さに宇治田から釘を刺される。
そこから「模擬内閣」に於ける開戦精査は、夫々の得意とする解析の擦り合わせの連携を高めて、忖度を脱しありていな祖国の明日を示す「結論」を一丸となって導き出しに邁進する。
軍側選抜に、岩田剛典さんや中村蒼さんと云った最近割と売り出し中の美形演者が配されて、見栄えと共に芝居どころも設けられるから演技の印象もまた上方更新されるところ。「擬似内閣」の面々はじめ、取り囲む政権、軍部、宮内省には、石井裕也監督作で馴染みの演者さんが配されているから演出意図に阿吽の呼吸で応えるので、この意義深い歴史検証ドラマに余念なく没入出来る。
国戦わぱの解析は、農村に於ける債務整理といった企業体の経済活動の帰結とは全く異なる。それは扱う数字の桁は言うに及ばず住む者達の生命に加えそれが根付くべき領土や体制の在り方にも関わる訳だから、両肩に係る責任の重さたるや相当で。
導かれた「必敗」の結論故に、受け入れられ無かった時の自責の念たるや相当である事は、擬似内閣での検討経過中、宇治田の心境,未来創造として焼け野原に佇む彼の映像で判り易く提示されるが。
問題は、結論報告されてからの内閣、そして軍部としての対応である。結論は当然明らかなのだけど。夏の報告を受けてから真珠湾攻撃に至るまでが、エリート達の検討までの切迫したボリューム感に比べると、食い足り無さを感じました。
当初の政治家が引き下がって、陸軍の東條秀樹が首相に収まって。報告では軍部のメンツで結論を良しとはしない姿勢を見せるも、想像される惨状を憂うのだけれども。
軍部や国民の空気に流される形で結論を反故にする迄が、宇治田が途中で訴える様に、開戦に関しての責任者が居ないまま、多くの命を巻き添えにされたのは示されたけれど。東條秀樹に扮するのが、監督とは馴染みの佐藤浩市さんで。それこそ昔、津川雅彦さんが演じたみたいに(作品存在を知っているだけで未見ですが)、ゴリゴリの軍国主義者よりも物分かりの良い人物に見えるだけに、若手の議論と並行しで軍部、政治家達にあって責任を取らない空気が醸された経過があったら、より今の時代への警鐘として威力が増したかもしれない。
製作者の1人が別の意味のコワモテの竹内力さんである事には、別の意味で驚かされました。
拙文にお付き合いいただきありがとうございました。
kino cinema 横浜みなとみらいシネマ2にて
ログインしてコメントを確認・投稿する