宣材の紹介見出しに「日本映画の神髄」とあって、なんか居ずまいを正して向き合わねばいけない「圧」を受けてしまうようだけれど。実際は、R-18のレイティングの通り生の中での生殖本能の発露が織り込まれるも、悲哀溢れる主人公の中年小説家の言動に口元も時折緩んだりして。男の観客には、身に覚えのある事にも行き当たったりするかもしれないけれど。ただ、モデルとして作品に投影される作家役は、綾野剛氏なのでシンクロ率はかなり割り引かねばならない。女性にしてみたら、自意識が高すぎる思い込みの滑稽さに苦笑しつつ、慈悲の思いが広がって、心のキャパシティ拡張の効用があるかも。
読書歴にあって全く無縁の吉行淳之介氏の同名小説の映像化で、1969年を舞台とし白黒の画調で殆どロケによる。画角を広げると今の街並みが写り込むので、かなり絞り込んで人物を捉えねばならず。娼館とか連れ込み宿の建物探すのも大変だったろうし、小道具も電気炊飯器から主人公の愛車のBMWもシートにヘッドレストも無い昔のタイプでスタッフの苦心が偲ばれる。ともかく、現在より程遠い「昭和」が舞台で、劇中人物の喫煙も緩ければ、学生運動とか革命とか現在の日常では頻繁には聴かれない言葉のうえに、その時代ならではの「事件」も織り込まれている。
主人公矢添(やぞえ)は、10年前に妻に去られて以来独り身の小説家である。自身の生立ちや過去に負わされた傷心から女性から愛情を受ける事は無いと見切り、こちらから情を抱かず、女性を「道具」と見做す生き方を課す。娼館で、田中麗奈さん扮する馴染みの千枝子と一時を共にしつつ、「精神的な愛の可能性を探るため」に自身を投影した物書きを生業とするAを主人公に仕立てて、女子大生B子との恋愛歴を小説にしたため始める。劇中の創作イメージとして提示される場面でもAに扮するのは綾野剛さんである。
そんな矢添が、たまたま出掛けた画廊の展示会で、新進の咲耶さん演じる女子大生の瀬川紀子に目に留まり、ドライブに連れ出す。車中での彼女の阻喪を発端に、「道具」には情を持たない筈の矢添は、宿で目に入った「あるもの」で欲情に火が入る。その後も、特に紀子との逢瀬を重ねるでもなく。創作とたまに娼館へ出向く生活を送る間、個人宅の電話番号が簡単に閲覧できた頃なので、紀子からたまに言われるまま、自宅外で体を重ねて。絶対に、自宅へ招き入れず、かねてから守っている自身の「秘密」を守る事に徹している。
矢添が隠し通している事は、本人にしてみれば切実で、明らかに格好ワルいのではある。彼が、愛情を受けてないと考える「施し」が無かったために行き付いたとの推測もあるので、思い詰めるのも仕方ないのだけど。小説書きなのに仕事を精神治療かリハビリを兼ねても、女性を受け入れ、現実を楽しむという事が出来ずに居る。紀子とたまたま夜空を見た時に、ムードも関係なく「星と月なんか、天に空いた穴」だと言い放つのだった。
愛される事への恐れから、求める欲も無いと総てに対して拒絶する姿勢や言動を見せるのだけれど。自宅の窓下に見える公園で、人目が無いのを良い事に貪り合う年若いカップルに心境とは裏腹に視線を向けるのみならず。白黒画面で、パートカラーとして「赤色」が強調される。矢添の食するサーモンから、展覧会で仮面に見入る紀子の肩に乗っかった糸くずに。極めつけは、執筆の途中で原稿用紙の余白にペンで描く女性の輪郭画。それらの赤色の強調は、肉色つまりは「生への渇望」の現れそのものに取られる。
矢添がひた隠す「秘密」を最たる象徴として、自意識の卑小さを垣間見せながら。紀子からの呼び出しに、「応じてやってやる」ハズなのが、彼女の気まぐれに何時しか矢添は、翻弄される。
映像として見せている、彼が創作する小説世界が、変わりゆく彼の心境に呼応するとか、相乗効果で畳み込んだりするともっと差し迫ったのかもしれないけれど。さる経緯で、矢添と紀子が病院でレントゲンを撮る事になって。待合室のTVで流れる、アポロの月面上陸の様子の中継から、病室で矢添の制御が及ばない「秘密」の御開帳は、その時代のトピックと絡めての中年男には大きいけれど、世間的にはチッポケでありがちな自意識の崩壊として巧い見せ場であった。もう、すっかり主導権を握った紀子が、「もう、やめたら」って言い放った後、引きの画面で先を歩く彼女の後を追って距離を詰めて歩く矢添の姿を見て、何処か肩の荷が下りた様な開放感が降りて来る。
中年の佳境に入った作家として、本心を抑え過去の経験からの怖気付きに支配されている様子が声色で伺えるかのような綾野剛さんの役作り。チンピラものは嫌いなので「愚か者の身分」はパスさせて頂きましたが、2025年前半の「でっちあげ」とは、全然違うアプローチと表現で、充実のお仕事ぶり。千枝子役の田中麗奈さんも、「ナイトフラワー」での如何にも被害者として仕立てられた役柄と違って、普通に「居る」感じが汲み取れて、映像の中で確かに「生きて」おられました。
世には、若い女子にあてたアオハルものが絶えませんが。こっちは、レイティングの制限はあるものの、エレジーを自ら醸すオジサン男子に向けられた、やや煽情的コメディと見做して楽しむ分有益な「ひと時」になるのでは。
拙文にお付き合い頂き、ありがとうございました。 テアトル新宿にて。
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