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2025年09月07日22:50

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「愛はステロイド」を見て。〜シガラミとか「血」を絶つには、過剰摂取の筋肉増強剤が引き起こす幻想にすら頼りたくなる位に厄介〜

英語原題のカタカナ表記が主流で、たまにサブタイトルで補完が洋画の邦題命名のパターンの中、珍しく知恵を絞ってはいる。本編を見れば、その「要素」を散りばめてはいるのだけれど、幾多も並ぶシネコンの公開中作品からその切符購入を果敢に選択させる動機付けとはし難いうえに、作品に散りばめられた他の魅惑的な要素を現し切れなかったかな。

邦題の指すステロイドとは、舞台となる1989年のアメリカ中部の荒涼とした大地からの砂ぼこりに晒されたようなさびれた街に倒れそうなプレハブ建物のような粗末なジムの「雇われオーナー」に収まっているクリスティン・スチュアート扮するルーが、この前のトム様の「М:i」シリーズ最新作で、潜水艦に待機していた兵士の一人だったケイティ・オブライアン扮する、ラスベガスで開かれる大会出場の為の旅の途中で流れて来たジャッキーに惹かれて。自宅に引き連れ寝食の面倒をみる流れで、バキバキに鍛えた体を更にキメる為にコネを駆使してルーが彼女に提供するのが筋肉増強剤。

頭が弱く都合の良いデイジーを気が向いた時だけ相手にする以外、息のつまる生活を送っていたルーは、ジャッキーと恋に落ちた事で彼女にとっての「最善」を尽くしラスベガスへの出場の手助けに務めるのだが。表向きは、射撃場やルーが管理するジムのオーナーを務めるエド・ハリスさんが、イメージを覆す前頭部剥き出しで長髪をなびかせる風貌の父親に扮して。悪人イメージしか受けないのだが、ルーの母親はもちろんの事、父親の裏稼業の「秘密」を知った者は消息が辿れなくなっており。娘のルーも過去には、父親に仕事を手伝わせた事もあるらしく。また、ルーの姉ベスは、DVの夫に従属を強いられ、更に悪い事に姉自身は夫婦の関係性の「異常」を認められなかった。

これまでルーが目を背けて嫌悪していた「血筋」故の問題について、彼女のためを思って起こしてしまったジャッキーの「行動」によりトラブルとして二人に降りかかって来て。肉体を鍛え上げるばかりで、自分の感情を制御できないジャッキーは、選択肢の少ない状況下で考えを巡らせるルーの最善策を、ことごとく台無しにしてしまい。事件の全容を知る事となってしまった父親とルーは、これまでのシガラミを清算しジャッキーとの明日を勝ち取るために生死を賭けて向かい合う。邦題のステロイドは、避けていた過去に向き合うルーにもたらされた、愛し合う事による「副作用」的興奮状態も指示したかったのかも。

しかし、まず、本作の魅力は、まずノワールものの「体裁」にある。冒頭の谷間の遥か上にきらめく星々を収めた「閉ざされた視界」のような、何であるかを明らかにされないショットを提示して。ルーの務めるジムの全景に切り替わり、誰か(多分、都合の良い女デイジーか)が、向かって行く様子に切り替わって。冒頭の「それ」の場所と意味が、「最善の策」を取るルーによって判るのだが。そこから、街の警察権力も抱きかかえる父親の詮索に、謹慎を命ずるルーの意向を覆してラスベガスに向ってしまうジャッキーや、冒頭でフェイドアウトしていたデイジーが、頭悪そうなのもフリにも思えるかの「すべてを知っている」風にルーにカマかけるデイジーとか入り乱れて、脆弱な均衡が破られる。

互いに「真実」や「のぞみ」を胸の内に籠めて、相手の出方を図る牽制の図式が出来上がるあたりには、ルーが取り繕っているのを誰かが見破るのか、それとも切り抜けられるのかの緊迫感も高まって。特に、同性愛者をメインに据えている事に対する、障害だとかに言及するのではなく、普通に犯罪ものとして引き込まれました。

ただし、R-15のレイティングとなっておりますから。一部始終を見せてしまっては、別の「用途」のモノとなってしまうので巧い事段取りを付けているとはいえルーとジャッキーの愛を交わす描写に、損傷のメイクも、小規模映画ながらシッカリ作られて痛々しいですし。ジャッキーの過剰摂取を視覚的に見せる場面で、筋肉が張ったり、血管が筋肉越しに膨れたりってチッサなショットを足掛かりに、彼女の幻聴を経ての、ラスベガスのコンテストでの「失態」を見せる場面での「出現」は、今年前半の「サブスタンス」も彷彿とさせて見る人を選ぶでしょう。

本作といい、どちらも女性監督が手掛けていて。「サブスタンス」は、暴走に見せ掛けて、クライマックスの阿鼻叫喚も含めて作り手の「意図」が働いていますが。こちらの方が、アナーキー的な無秩序さを強く感じる。ルーはもちろん、暴力を強いられてもなおそれが自身への夫の愛だと疑わないベスだとか。本当の「愛」による、脱却を願っているかのようで。

それが籠められたのは「意外なクライマックス」と称しているあの場面でしょうか。それまでの緊張感を御破算にするかファンタジー的というか、エド・ウッド的サイテー級古典的空想映画への献辞ともいうか、いろんな意味で翔んだ描写には、見る側も腰ぬかしました。でも、いろんな取り様が出来て、受け手を試される。ジャッキーが、ルーの父親がオーナーと知らず、射撃場内のバーでのウエイトレスに応募の面接で、詳しくは覚えられなかったけれど、「男世界で自分らしく生きるための探求」みたいに言っていて。それを、自ら体現して見せたのかとも勘繰ったりして。

むしろ、本当のラストシーン。アメリカらしいピックアップトラックの車内で、開け放ったドア越しに1人が夢心地で寝ている向うには、これまたアメリカらしい荒野が続く地面を、厄介な遺体を引きずって行く、世話焼きのもう一人の姿が見えて。二人の関係性が、ここに凝縮されていて。「テルマ&ルイーズ」を経て、今の時代のそういう作品を決定付ける良いシーンだなと受け止めました。

拙文にお付き合い頂き、ありがとうございました。
シネマサンシャイン沼津 シネマ7にて。

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