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2025年07月06日22:30

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「でっちあげ 殺人教師と呼ばれた男」を見て。〜法の救済をもってしても奥底に埋め込まれた心の傷は、あの時の服の姿で現れる〜

担当教師による担当児童への虐待を「認定」した事件のルポを下敷きにした映像化作品だけあって、社会問題告発要素の太い芯が貫かれてストレートにメッセージが伝わって来ました。

予告で受けた印象では、外面の良い凶悪男性教師が、彼の「狡猾さ」を上回る保護者の歪んだ愛情によって社会的地位を失う憂き目にあう「狂気」を前面に押し出した作風の印象を受けていたもので。それは、受け手の「捏造、でっちあげ」じゃなく、思い込みとの相違に過ぎないとはいえ、全く外れてはいなかったのだけど。

過去には、年間に間を置かずに手掛けた作品が公開されていたうえに、国内外では年齢制限が掛けられた独特な衝撃を与えるカルト作品で名前の通っている三池崇史監督が手掛けているので、一筋縄では行かないのではと想像していたのでしたが。事件の公判を丹念に追う作りで、「殺人教師」というレッテルを張られて停職にまで追い込まれた、ごく普通の教師の地位と名誉の回復までの心情に沿う事に徹して、見る側にもすんなりと「真実」が受け取られて。表層的には、作り手の「悪目立ち」が全くしない。

事件の裏もロクに取らずに、実名報道に踏み切った週刊誌記者については、「そういう事実」がありましたというだけで、記者の役柄に関して惹き付けるところも無く、マスメディアによる「真実の歪曲」とそれを鵜呑みにする大衆といった争点として取り上げたりはせず。老境に入った町弁湯上谷(見えない先行きに光を投じる小林薫さんの好演)の発想と助言を得て、被告の薮下が保護者氷室律子側の腕利き大弁護団の論告内容の不備を突く証拠を地道に揃える過程で、誰もが陥れられても全く不思議はない、悪意無き「落とし穴」の恐ろしさを突きつけられる。

はじめ、それぞれの「論告」に基づく再現が展開する。いまや邦画・洋画に限らず基本的手法となった「羅生門」展開。登場人物の「主観」によって、登場人物の性格付けを変えて見せる方法により、教師薮下に扮する綾野剛さんは、はじめは、身も凍る陰湿教師像をみせるべく不快な役柄として現れて、対して、被害者の生徒役の子と母親律子役の柴咲コウさんは、被害者として初めは見做されるのだけれども。この辺りが、予告でランダムに使われているために、違った印象を与える事となった。

まず、誰にでもあり得るのが、「その場を収めるためには、やむを得ないのだから」と、事実と違う対応を引き受けてしまう事なのだけど。校長役の光石研さんはともかく、教頭役が大倉孝二さんで。大倉さんといえば「ピンポン」でのアクマ役だからなぁ、かなり怪しいのだが。絶対、断固として嘘の「謝罪」を、なおさら引き受けてはイケないんだけれど。時代は変わったとは言え、あれは、やってしまいがち。

でも、一番怖いのは、柴咲コウさんに尽きます。作品の展開で、徐々に律子の「本質」が明らかになるのだけれど。自身の思い込みの強さ故に、我が子の在り様も許せず。その為に、関係を歪め陥れたところで、恨みだとか悪意が全く無くて。きっと丹念に下敷きとなるルポを作品は、追ってはいるのだろうけれど。先の律子の「恐ろしさ」が、裁判後も薮下先生の心の奥底に潜んで、たまにもたげているのを暗示する街角でのワンショットは、作り手らしさが現れたのかも。

もう一つその前の場面も、印象的でした。居間でまどろんでいた薮下が、妻の声に起こされて。その後、教育実習に臨む息子とスマホでメッセージのやり取りをした後、公判中はそこに無かったはずの仏壇の鐘を鳴らして拝み終えてから出勤する描写なのですが。たとえ「名誉」が回復しても、その間失ったものは、代えがたいし、埋めようのないものなのだなと。せめて、教員を嫌っていた息子が同じ道を歩んでくれるのが、彼にとっての「救い」ではあるとしても。

拙文にお付き合い頂き、ありがとうございました。
シネプラザサントムーン シアター��にて

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